兄と暮らして思うこと

宇部市立西岐波中学校 一年 西川鈴音

 私の兄には自閉症という障害があります。でも、「障害」ってなんでしょうか。
 兄にはこだわりがたくさんあります。ビデオ屋に行ったら、毎週同じビデオを借ります。飽きないのかなと思い、「違うビデオ借りたら。」とすすめても、「やだ。」それに巻き戻しボタンを押して同じ場面を何回も見ます。
 四年前、親が車を買い換える時のことです。泣いて、「車、バイバイ。次は赤色になります。」と自分を説得しようとしているのですが、次の瞬間には、「えーっどうしよう。」と言って一人二役やっています。そうやって一生懸命自分を納得させようとしていました。とにかく、変化することが大嫌いなのです。いつもとどこかが変わると不安になり、とても落ちこみます。でも、長所でもあるのです。忘れ物を絶対にしません。物もなくしません。戸じまりも完璧です。
 兄は特別な音や大きな音が嫌いです。飛行機の音が恐くて近づけませんでした。クーラーをつけてもパニックになっていました。学校のチャイムも嫌いでよく教室を逃げ出していました。でも少しずつがんばって、今は飛行機にも乗れるし、クーラーも恐がりません。
 兄はビデオの内容を全部覚えている天才少年です。よく独り言のように内容をしゃべります。ビデオだけでなく、いろいろな事を正確に覚えていますが、それを頭の中からうまく引き出すことができないのです。それが上手にできたら、「すごい記憶力をいろいろなことに使えるのに。」と思います。
 兄は写真をとても上手に撮ります。何も考えていないようにパシャ、パシャと素早く撮ります。だけど失敗作品は一枚もありません。しかも私たちが決して撮りそうにない物を撮ります。不思議で美しい撮り方で。
 去年夏休みに長野に行きました。みんなは山を見て「きれいだね。」と言って、「てっちゃん(兄)あの山撮って。」と指さしたのに、兄のカメラは下を向いていました。みんなは山にばかり気をとられていました。その時の写真を後から現像してびっくり。稲がのびのびと育っている田んぼのきれいなうねが写っていました。「こんなきれいな田んぼあったっけ。」誰も覚えていません。改めて兄は違う見方をしているのだなと思いました。
 兄がカメラと出あったのは小学五年生の時です。兄が撮った写真を見た時、父と母は、「てっちゃんがこの世で何を見ているのかちょっとわかった気がした。」と思ったそうです。兄は少ししか言葉が使えないので、写真は兄の一つの表現方法なのかなと思います。
 神経衰弱も得意です。いつも勝ちます。私は少ししか覚えることができませんが、兄は出たカード全てを覚えています。兄の頭はどうなっているのだろうと思います。
 写真のこともトランプのことも、兄は視覚がとても強いのでそれをうまく使っているのでしょう。私たちにないすばらしい能力です。
 「障害」ってなんでしょう。
 みんなは、「この人は障害者。」と決めつけているけれど、実は多くの人がいろんな障害と向き合っているのだと思います。私のように目が悪い人は視力障害だし、年をとって耳が悪くなった人は、聴力障害です。自分の弱いところが障害なのです。弱いところがない人間なんていない気がします。
 障害があるのに、「障害者。」と呼ばれる人と呼ばれない人がいます。たとえば、知能指数(IQ)という知的障害の程度を知るための検査値があります。知的障害はIQによる分類を参考とすればIQ75程度からと言われていますが、IQ75の人とIQ76の人との間に、そんなに違いがあるようには思えません。
 また「障害」は、周りの状況によっても変わるように思います。私は英語をうまくしゃべることができません。外国に行ったら、私も障害のある人と同じように困難な状態になるかもしれません。でも、通訳がそばにいたら、困難な状態はなくなります。目も悪いけれど、メガネをかけたら大丈夫です。自閉症の兄も、スケジュール表があれば、自分で動けます。
 そして「障害」のある人は、私たち「障害」のない人中心の社会に合わせようと努力してくれています。嫌な音もがまんしてくれます。私たちにない能力をもっています。すごい記憶力もあります。私たちが見逃すものも見ています。美しいと感じています。
 「障害」ってなんでしょう。
 みんなそれぞれに、すぐれたところがあり、苦手な所があるのです。「みんなちがってみんないい」金子みすずの詩のことばに、その答えがあるような気がします。

第26回全国中学校人権作文コンテスト
主催 法務省人権擁護局 全国人権擁護委員連合会 (平成18年度)
山口県大会 山口県地方法務局長賞

この作文は山口県地方法務局の許可を得て掲載しています。