あらたしき としのはじめの とよのとし
       しるすとならし ゆきのふれるは
(万葉集巻17-3925)

   元正太上天皇の時代、平城京西院の駕宴で葛井連諸會が詠んだ歌。


新年の歌としては大伴家持の歌の方が有名ですが、こちらの歌は
私的にとても好きなので、新年用に使わせてもらいました。

歌と人物は全然関係なく、どうせ天平時代ならそれ相応の人物を描けばよかったのでしょうが、
今回は見送りです m(__)m。

年賀状というものは最初は年賀用のイメージから考えるのでしょうね。
去年はたまたま下書きした絵を新年用かな〜〜と、とりおきしてました。
今年は困りました!!。イノシシと鶉(←柄がうり坊に似ているのです、イハ〜〜)
をセットで描こうと思いましたが、惨敗しましたね!!。
これで3日、潰しました。
原点に戻って、新年の好きな歌を思い出して、こういう絵になってしまいました。
本来なら、大晦日から1日に日付が変わったぐらいに描き終ってないとだめなんでしょうね。
1月1日が終わるぎりぎりにやっとこさ、描き終わりました。
あ〜〜長い言い訳でした。

2007.1.1

    



大伴家持

あらたしき 年の始めの 初春の
       今日降る雪の いや重げ吉事

(万葉集巻20-4516)

天平18年、葛井連諸會と先の宴に列席していた大伴家持はその13年後にこの歌を詠みました。
でも、この歌は万葉集最後の歌になってまいす。
遠く因幡の国に赴任した家持(実質左遷)がその昔を懐かしんで詠った歌った歌である事を考えれば、
対照的な2首だな・・・と痛感します。
13年前の平城京の雪景色を思いおこし、因幡国庁で目の前に積もっていく雪を眺めながら、
家持は万葉終焉をとめる歌を歌いました。
その心境はいかばかりであったでしょうか・・・。