藤原広嗣 (?〜740)太宰少弐
藤原不比等(藤原鎌足の子)の三男の宇合(藤原四家の式家の祖)の長子。
藤原四兄弟の死後,橘諸兄が政権を握ると,中央の顕官から太宰少弐に(太宰府の次官)に左遷された。
740年8月,僧・玄ム・吉備真備の専横を非難し,北九州の動揺を背景に反乱を起こした。
が,大野東人らの追討軍に敗れて,処刑された。
式家も衰えたが,政府(3年前の疫病の発生で都も右往左往している上に)も動揺し,恭仁京・難波京・紫香楽京と・・・5年間の間転々と都を変える発端となる。
(亡くなられたのは,多分,30歳前でしょうね。父の宇合の年齢からいくと・・・ご命日は11月1日・・・私の誕生日の2日前じゃないか!!・・・すいません!これから毎年,合掌させていただきます。)
藤原広嗣 桜を娘子へ贈る歌
この花の一枝(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の
言ぞこもれる おほろなにすな
娘子の和す歌
この花の一枝のうちは 百種の
持ちかねて 折らえけらずや
万葉集にはこの2歌があります。
(反歌があったのを知ったのは最近〜〜勉強不足の極みですね。)
遥か昔,私が高校生の頃??少女月間雑誌の「りぼん」で,この歌を取り上げた漫画を読んだ事があります。
(確か小椋冬美さんだったと思うが,うろ覚え,友人から借りた本だったので)
この歌を使って,主人公の女の子が好きな男の子に告白する話でした。
話の内容がとても可愛いのと,この歌に合わせた絵がとても綺麗だったのを覚えています。
その時に始めて,この人の歌を知りました。
が,その当時は,その政治的背景も知りませんでしたので,後に,日本史で広嗣の反乱の事件を知っても,なんか,歌と人物があわないな〜〜〜と思いました。
またまた,それから何年かたって,私が最初に勤務した所が奈良市内の高畑町でして,昼休みの暇な時に散歩していて,偶然に藤原広嗣を祭った鏡神社を見つけました。
奈良公園をぬけて,新薬師寺の南門を出ると,右側に小さな神社があります。
それが鏡神社でした。
神社の祭神を見て,あれ〜〜藤原広嗣だ!!
こんなところで,お会いできるとは・・・とビックリいたしました。
広嗣は非業の死を遂げているので,怨霊思想があり,こうして,霊をまつっているようです。
私にとっては,丁度よい昼休みの散歩コースになり,此処によく来て,おみくじをひいたものです。
一番最初の勤務地での出来事でもあり,今でも,桜の花・広嗣のこの歌と鏡神社は忘れられないもののひとつです。
中央から左遷されても,反乱を企てた広嗣,無念の死を遂げたけど,自分の信念のままに,生きたこの人には,気概を感じます。
(反乱を起こす度量があって,羨ましいです。別に私は,反乱を起こしたいわけではないのですが・・・)
桜の花は,広嗣の追悼に散っているような気がします。
結局,歴史的コメントでなく,自分勝手な内容になってしまいました。
でも,このページを作って改めて,桜との時期と秋に藤原広嗣を偲びたいと思っております。
春休みに子供と奈良公園に遊びに行くので,久しぶりに,この神社にも足を伸ばしてみたいです。
2004.3.23