静御前と義経

         見るとても 嬉しくもなし 増鏡
              恋しき人の 影を留めねば


昨年(その前の年か?),N○Kの歴史番組で義経の特集だったたと思うけど,その番組の最後に,静御前のこの歌があげられていました。
静御前の義経を想った歌は,「しづや・・・」と「吉野山・・・」の2首しか知りませんでしたので,印象ひとしおでした。

静御前は,丹後の網野礒で生まれ?,父親亡き後母の磯禅師と京都に上ります。
雨乞いの奉納祈願の舞で,雨を降らせたことが,一躍彼女の名をあげたとか・・・。
これは後世の作り話だろうな〜〜と思うけど,それだけ舞が上手であったか,
はたまた義経との艶聞に色をつけたのでしょうね。

吉野で義経を別れて,義経の行く末もわからず,どんな思いで日々をすごしたか・・・
どれだけ相手のことを思ったか,相手の安否を気遣ったか・・・
携帯電話もない時代,私達には到底解らない思いのたけがあったでしょうね。
相手の生存もわからないんですから・・・

靜は,義経亡き後,網野に帰り,草庵を結び,此処で没した・・といわれています。
でも,埼玉栗橋で靜の墓もあるそうですし,義経を追って奥州に行ったとか・・諸説あり・・・。


義経正妻とされている(平の時忠の娘が正妻との説もあり)河越頼重の娘(郷御前とも言われていますが)・・・。
一旦義経から離縁されましたが,一族を捨て,義経の奥州行きに同行し,衣川で義経,娘
と一緒に亡くなっています。
義経の愛妾と名高い靜御前,最期の時を一緒に迎えた河越頼重の娘・・・
義経を取り巻く女性達,義経を想い,それぞれの最期を迎えたのでしょうね。
(靜も最期まで追いかけていきたかっただろうね・・・)

大昔!!,週間マーガレットで読んだ志賀公江(??あっているのか)さんの描かれたこの2人の物語が綺麗でもう一度読みたいです。

義経を含め周りの人物の動向が,諸説飛び交うのでどれが本当かよく解らないです,
ぶっちゃけた話・・。コメント不足で申し訳ありません。←言い訳〜〜

丹後網野町には静御前のお菓子が売っとりました。

絵の中の鏡・・・当時の鏡調べようと一応考えたのですが,手抜きです。
ちなみに,この2人,12歳違いなのに,私が描くとそう見えません。

来年になるまでに??描いてみたいと思っていた2人です。

2004.9.6