山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく

万葉集 巻2−158 高市皇子尊

天武天皇の長子高市皇子と異母姉十市皇女・・・
十市皇女は大友皇子の妃であったこともあり、二人の恋愛の前途はくらいものがたちはだかり・・・
678年4月7日、伊勢に御幸する直前に急逝した十市皇女・・・。
彼女の死を悼み黄泉の国まで追いかけて行きたいと悲痛な歌を残した高市の皇子・・・。
大和国に埋葬された4月14日・・・山吹の花が咲き始めていたのでしょう。



山吹の花・・・描いたのは一重の山吹…八重の山吹が描きたかったです。
去年描いた山吹と一緒・・・同じ花の資料見たのですから…仕方ないですね。(ーー;)

この歌の歌碑は三輪山山麓の松林を過ぎた玄賓庵の近くの小川の傍らにあります。
学生時代、こういった歌碑を見たさに山之辺の道を友人と行きました。
歌碑も写真に撮ったと思いますが・・・帰り道のバスでカメラを落とした・・・のです。
そして二度と手元に戻ることはなかった〜〜(T_T)。。。苦い思い出じゃ・・・。

山之辺の道の歌碑を見に行くなら
「山の辺の歌碑をたずねて」(発行所・株式会社タイムス)犬養孝監修・・がお勧めです★

私はこの本で”大和は国のまほろは…”の歌碑を見つけることができました。

2006.5.27.