6.西洋医学の野蛮性

 1.人体はロボットではない  3.新しい医学の試み
 2.時空を超越したDNAの神秘  4.現代医学は宗教か?


1. 人体はロボットではない

がんで死亡する人は毎年30万人を超えています。死因のダントツががんで、死亡者全体の三人に一人ががん死です。がん死の上昇率は今後も伸び続けると予想されており、がんの猛威はとどまることを知りません。 それでも現代医学の医者や医療機関はがん治療について、

「マンモグラフィーなどの検査によって早期発見ができる」
「早期発見で転移する前に摘出手術をすれば、治癒率は70〜80%と高い」
「奏効率が従来の抗がん剤より何倍も高いハーセプチン、イレッサなどの化学療法や、がん細胞だけを狙って集中攻撃できるライナック、ガンマナイフなどの放射線療法がある」
「遺伝子解析によって正確な診断が可能になり、きわめて近い将来、細胞分裂の制御にかかわるアクセル(成長因子)をゆるめたり、ブレーキ(抑制因子)をかけるための薬が開発される」

などと楽観的なことをいい、医学の進歩によってがんは今や克服されたかのような喧伝ぶりです。しかしがん治療の現実は、決してそんな生やさしいものではありません。じっさい、こういった治療法はいずれも体に無理やり物理的な攻撃をしかけ、耐えがたい心身の苦痛を強いたあげく、やがて90%以上という高い確率で命まで奪ってしまう冷酷なものです。(第二章3節参照)
それはたとえば、治療経過が逐次報道された有名人の症例をみれば歴然としています。夏目雅子さん、美空ひばりさん、逸見政孝さん、渥美清さん、二子山親方、本田美奈子さん、松山恵子さん、絵門ゆう子さん、岡田真澄さん、橋本龍太郎さんなど多くの方が“非業の死”を遂げられました。これらの方々はすべて、現代医療による治療を忠実に受け入れたにもかかわらず、つかの間の小康期をえただけで、やがて症状が再発あるいは病態が急変して無念の最期にいたったのでした。
この事実はいったい何を物語っているのでしょうか?私はそれは、がんという病気そのものより、放射線、抗がん剤、手術といった治療法がかえって死期しきを早めたのだと思っています。またその治療法によって患者の免疫が殺がれる結果、自然治癒の可能性さえ排除されてしまったことに注目すべきです。この明らかな矛盾について、医者も医学界も疑問を持たないのでしょうか?いや、そんなはずはありません。
何らかの原因ゝゝゝゝゝゝによって正常な細胞が突然変異を起こす」と、みずからがんを定義づけているように、現代医学はがん細胞発生の原因は不明であると告白しているのです。ということはつまり、原因がわからないまま、現代医療は無謀な処置をやっていることになります。
そもそも、生命のいとなみなど自然界の現象はすべて必然変異であり、そこには必ず因果関係というものが存在します。医学研究に「突然変異」などという概念を持ち込むことじたい、頭から責任を放棄しているといわざるをえません。
第四章でご説明したとおり、病気(慢性疾患)は治療するものではなく、体に本来備わっている自然治癒力によって消滅させる以外、ほかに対策はないのです。異物や病原体を退治するのは免疫ですが、病気を予防してくれているのは自然治癒力です。つまり病気になるということは、自然治癒力が低下しているわけで、それをもとの健全な状態に戻すには体内環境を整える、すなわち正しい食生活、適度の運動、精神の安定がその必要条件となります。
これはがんにかぎらず、すべての慢性病に共通する病気の成り立ちです。現代医療はこの点を完全に無視しているため、慢性病を治すことができないわけです。ちなみに「治療」とは、患部(局所)に外科的な手当てをすることで、「治癒」とは、自然治癒力を阻害する要因を除去することにより、病気そのものが自然に治ることを意味します。
つまり厳密にいえば、治療は怪我(外因性負傷)に対して行うもので、病気(内因性体内異常)は治療できないわけです。現代医学は肝心の病気の原因をそっちのけにして、腫瘍や炎症といったいわば病気の原因の表示箇所(一種の怪我)を病気の実体であるかのように患者に錯覚させ、それを除去あるいは縮小させれば病気は治るといって騙しているわけです。
それを十分(?)知っていながら、見当はずれの危険な治療を強要する・・・これは刑法で規定されている「未必の故意」という犯罪行為にあたるのではないでしょうか。「医療行為だからそれが許される」、そんな道理が通る根拠はどこにもないはずです。ただこの問題の背景には、現代医療・医学にたいする妄信的な社会通念や旧態依然の法律の存続が関与しており、それらの問題を解決するための一刻も早い国民の意識改革が求められます。
先述の有名人のなかには、こういった現代医学の矛盾や危険性に十分気づいていた方もいらっしゃったはずです。しかし有名人であるがゆえに、主流である西洋医学を信頼し、それに命を預けざるをえない何らかの事情があったのではないでしょうか。
たとえば西洋医学の権威ある医者と親交があり、その人に健康・医療管理を委ねているとか、あるいはそういう人たちが似非医学だと軽蔑して、見向きもしない代替医学などに身を任せようものなら、「世間に良識を疑われのでは?」といった戸惑いなどが考えられます。しかしながら、そんなことでみすみす命を犠牲にしなければならなかったとしたら、なんというブラックジョークでしょうか?
元NHKアナウンサーで女優、作家としても活躍された絵門ゆう子さんは、医療遍歴がほかの人たちと少し違いました。お母様のがん治療に疑問を抱いた絵門さんは、みずからにがん宣告が下されたとき、西洋医学による治療法をいっさい拒否していました。そしてその間代替医療や民間療法など、これぞと思うものを片っ端から試したのですが、それらは不運にも功を奏することなく、やがて末期状態に追い込まれてしまいました。
さすがの絵門さんも弱気になって途方に暮れていたころ、「効果の曖昧なものをいろいろ試すより、れっきとした医学的根拠にもとづく治療を受けるほうが素直ではないか」という、ある医者のアドバイスにつき動かされるように、聖路加国際病院に入院することを決意したのでした。そのわずか3年あまり後、つまり今年の四月に同病院で、49歳という若さで無念の死を遂げられました。
私はたとえ末期であろうと、西洋医学の医療を受けなかったほうが、治療による後遺症に苦しめられずにもっと生きられたのではないかと思っています。一概に代替医療といってもピンからキリまであり、見境なく飛びつけば、当然そこに落とし穴があります。骨髄造血や細胞分裂といった明らかに間違った理論ではなく、千島博士によって実証された腸造血や細胞新生(血球分化)説にもとづく医療(たとえば断食療法など)に巡り会えていたら、絵門さんはおそらく救われたであろうと思うのです。
その絵門さんが聖路加国際病院に入院して一年ほどたったころ、同病院の名誉院長・日野原氏と対談していますが、それを目にした私は、西洋医学を遠まわしに正当化する日野原氏の巧妙な説法に失望すると同時に、ある種の憤りさえ覚えました。こちらに掲載しますので、参考までにご覧ください。
日野原氏といえば現役最高齢(95歳)の医者ということで、さまざまなメディアに登場したり、最近では一連の「生きかた上手」著作シリーズがベストセラーになるなど、その知名度は抜群です。したがって日野原氏の発言はそれなりの説得力があるためか、西洋医学に多くの疑問を抱く絵門さんも、それらを糺す切り口さえつかめないまま、日野原氏の巧みな論法に押し切られてしまっています。
医学界の最長老といわれる日野原氏に、私はこういいたい。「テレビに出演したり本を書く暇があったら、現代医療の矛盾を率直に告白し、それを少しでも世間に公表する努力をしてください」と。矛盾のあれこれはいいません。せめてつぎの残虐な行為だけは、ぜひやめてほしいのです。
まず矛盾だらけの骨髄造血説に論拠する治療法、すなわち骨髄移植はもうやめるべきです。骨髄移植は、文字通り骨髄を移植するのではなく、患者の病魔に冒された血液を抗がん剤や放射線で破壊しつくし(前処置)、その上でドナーの骨髄液(造血幹細胞を含む)を患者の胸の静脈から輸注し、それが患者の骨髄に生着することをもって成功とするものです。
しかし残念ながら、この処置が成功する根拠はありません。なぜかというと、それがすべてウソとデタラメの考え方によって行われる処置だからです。ただし何らかの理由で、前処置を手抜きした場合に、患者が快方に向かうようなケースがごくまれに報告されています。
この点につきましては、昨年6月に出版された札幌在住のジャーナリスト稲田芳弘氏による 「『ガン呪縛』を解く」(229ページ)をご参照ください。この本は、みずからも末期がんを患う稲田氏が現代医療をすべて拒否し、「千島学説」に論拠するがん治癒療法を確信をもって実践し、「完治」にいたった過程を克明に記録した400ページを超える大著です。同著は2007年8月23日付け毎日新聞に紹介されました。
この治療で許せないのは、骨髄移植というまやかしの処置によって患者に拷問ともいえる苦痛を与え、やがてほぼ確実に(時期は人により異なりますが)死に至らしめることです。処置をする人間は、そういった結末を前もって知っているわけで、その意味でこの行為は先ほども述べた、未必の故意による「合法殺人」といえるのではないでしょうか。
次にがん治療、これもやはり誤った「細胞分裂説」に論拠しており、「がん細胞は分裂によって増殖するのではなく、血液の汚れによって正常細胞ががん化する」という千島理論を認めないものです。つまりがんは局所的な疾患ではなく、全身病であることを無視しています。こうして無謀にも行うがん摘出手術は無意味であるばかりか、重要な働きをする臓器や組織を容赦なく切り捨ててしまう。これがのちに体にとってどれほどの犠牲になるか、いうまでもありません。
さらにいえば、抗がん剤は毒ガスのイペリットから開発されたもので、猛毒であるばかりかそれ自体が発がん物質です。これを治療に使用すると、がん細胞が死滅するどころか、次々と別の箇所に新たながん細胞を作りつづけることになります。いわゆる「転移」とは、じつはこれが真相ではないかと考えられるのです(がんが転移するなど、手術のための口実にすぎない)。このことについても、先述の「ガン呪縛を解く」は詳細に解説しています。
ところで話は変わりますが、遺伝子を人工的に操作することは未知の危険をはらんでいます。細胞はそれぞれが単独で機能しているのではなく、血液、ホルモン、酵素、神経伝達物質などが全身で脈動し、総合的に作用しあって組織や細胞の働きを維持しており、そういった全体のメカニズムを無視して、個々の細胞に人工的な改造の手を加えることが問題だからです。
その全体のメカニズムを取り仕切っているのが、次節で述べるように細胞の中心にあるDNAです。ところが驚くべきことに、DNAのさまざまな働きの実体というのは、じつは物質的なものではないのです。またDNAは個々の細胞のなかだけではなく、一つの大きな分子として、体全体をコーディネートする役割も担っています。
ここのところは私にはわかりやすくご説明できませんが、「クォンタム・ヒーリング」という衝撃的な本を著したアメリカの心身医学医ディーパック・チョプラは、DNAの奇跡をつぎのように表現しています。

「私たちは、DNAをたんなる物質的な設計図だと考えがちですが、じつはそれは『生命の設計図』なのです。DNAはそんなに静的なものではありません。全身で躍動しているさまが不可視のため、科学では捉えられないだけです。
―中略― およそ生命のあらゆるものがDNAから溢れ出てきます。肉も骨も血液も神経系も、赤ん坊の最初の言葉も、よちよち歩きの最初の一歩のインパルスも、脳の中の論理的成長も、各細胞を通じて夏の日差しのようにきらめく感情も、思考も欲求もすべてがDNAなのです。それを設計図と呼んだのでは、皮を取って実を捨てることになります。
ベンツのディーラーを訪ねて、3000ドル払って、車ではなくその設計図をもらってきたとしましょう。その設計図が本物の車に化け、そればかりか、ひとりでにエンジンがかかって道路を走り出し、自動的に部品交換までしてしまう。そんな設計図がDNAなのです」

そういう視覚では捉えられないDNA の働きを無視して、細胞のなかへウィルスベクターや人工ベクターを挿入などすれば、のちに不都合なことが起こっても何ら不思議ではありません。それになにより、こうした細胞の局所的な操作は全身の精妙な連携システムを混乱させたり遮断したりし、人体をまるで壊れたロボットのような状態にしてしまうものです。
ロボットなら壊れても何度も修復できますし、完全に元通りにすることもできるでしょう。しかし人体はそうはいきません。げんに遺伝子治療をおこなった多くの臨床例で、薬の副作用に相当する症状がすでに現れています。
科学では検知不可能の超ミクロ現象を全身で演出しているDNA に不用意な手をくわえると、全体機能が狂うことは前もって十分わかっているのです。
たとえばドーパミンなど、脳内化学物質の生成がアンバランスになったり、指令中枢を担うニューロンの混乱をきたし、そううつ見当識けんとうしき障害などが誘発されることはすでに確認されています。
生命の仕組みというものは、どこまで細分割しても人知の及ばない領域です。それを承知で遺伝子操作をやっているとすれば、医学は「無知で傲慢ごうまんである」といわれて、返す言葉があるのでしょうか。しかし問題は、なぜそういった医療・医学がまかり通っているかということですが、その由来を説明するとなると、ここでは詳しく述べる字数の余裕がありません。
ただ現代日本社会が、西洋文明にどっぷり浸かっていることに誰も異論はないはずです。しかし穿った見方をすれば、これはアメリカの属国隷従化政策によって毒されている、ということではないでしょうか?そのことも含め、西洋文明というものについて少し触れておきたいと思います。
第五章2節で、「人間の体は体蛋白で構成されるから、動物の体蛋白である肉を食べればいい」という動物性蛋白食品偏重について述べました。そしてこの考え方が現代日本の医学・栄養学を支配しているため、生活習慣病が激増しているのです。このあまりにも単純で乱暴な思考こそ、西洋文明の本質にほかなりません。短絡的で乱暴な言動を「野蛮」といいます。
そういう野蛮な思想を背景に発達してきた現代医学は、自然や生命現象の解明には明らかに不向きであり、森下博士もいわれるとおり、「ヒポクラテスいらい、医学はほとんど進歩していない」のです。現実を見ても、昭和五十年代前半には十兆円だった国の医療費は、20年ほどで3倍の30兆円を超えています。もし医学が本当に進歩しているなら、こんなことはそもそも起こるはずがありません。
この明白な事実に気がつかず、医学者も栄養学者も国民も、病気をどんどん作り出す肉や精白された加工食品をどんどん売りつけるアメリカの謀略にたぶらかされている、「その恐るべきオメデタさ加減、鈍感さ加減に、私はただただあきれ返っている」(森下博士)のです。
いわゆる肉食推奨論、つまり動物蛋白が体にいいという考えは自壊・自滅思想でもあります。なぜかというとこの考え方を突き詰めると、「人間は人間の肉を食らうのが一番いい(栄養的に最適だから)」という結論に行き着く発想だからです。つまり魚よりはトリがいい、トリよりはブタが、ブタよりは牛が、それよりさらにいいのはサル、それ以上にいいのは人間自身の肉を食らうのがいい、というようになっていく考え方、すなわち直線的思考であるわけです。
さすがに人食い人種はもう現存しませんが、そういう野蛮性が西洋思想の原点であり、宗教やイデオロギーの違い、自分たちの利益に反するという理由で殺し合い、略奪、征服を繰り返してきた西洋史の残虐さは、決してこのことと無縁ではないように思われます。
今日の明らかな文明の崩壊は、その必然的な結末ともいうべきもので、まさに自業自得、自壊現象が現実に起こっているということです。一方わが国日本は、天武天皇から孝明天皇までの約1200年間、「殺生肉食禁断のご詔勅」をごく当たり前のこととしてずっと遵守してきました。つまり自然に対する感謝と畏敬の念を持って、「自然・万物との共生」を実践し、守り続けてきたわけです。
西欧やアメリカの野蛮思想に迎合する行政は、わが国にとって災厄と不幸しかもたらしてくれません。そのような行政を断ち切るためには、国民の強い自覚と断固たる行動が不可欠です。そして医療の分野では、その残酷と野蛮の権化ともいえる西洋医学を、日本から追放することが焦眉の急であると私は思います。


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