断水


 3月11日は普通に水道が使えたので一安心していたが、次の日の朝、念のため飲料水を確保しておこうと焼酎やウイスキーの空容器、4リットルのペットボトル4本に水道水を貯めた。そうしたらすぐに水の出が悪くなり、とうとう断水してしまった。おかしいな、今まで出ていたのにと思ったが、どうも隣接する市町村も含め、全体的に断水になっているようなのである。後で分かった事だが、団地内の給水タンクに水が残っていて、しばらくは水が出ていたらしい。

 飲料水は備蓄のミネラルウオーターも含めてしばらくは何とかなるのだが、それでも心細いので給水車を待つことにした。しかし当日は給水車は来なかった。他のところで手一杯なのだろう。実際給水が始まったのは、次の日からである。自治体も自衛隊も手が回らないらしく、団地の自治会で軽トラックにタンクを積んで浄水場まで採りに行った(ガソリン不足で難儀したようである)。ただ一人3リットルまで。4リットルのペットボトルを持って列に並んだ(後には放射能の影響で雨の日は中止となる)。また幸い隣の団地の水道が地下水汲み上げなので、水を分けてもらったりした(そういう事情があるので、自治体や自衛隊の給水車が来なかったのだろう)。4リットルのペットボトルは本当に便利なものである。しかし何で空のペットボトルを沢山保管していたのか、今では良く分からない。高校生の時の十勝沖地震で、長い間断水になって困ったという記憶が残っていたからかもしれない。

 飲料水はこれで何とかなった。問題は他の生活用水である。風呂や洗濯はまだ寒い時期でもあり、当面我慢ができるのであるが、トイレの水は毎日必要不可欠である。これも幸いにも風呂の残り湯をとっておいたので、少しずつ使うようにした。後には妻の実家の水道が早くに復旧したので、分けてもらった。最悪は川や農業用水路に汲みに行くか、家の庭に穴を掘ってそこで用を足そうかと様々考えた。後は水道が出ている隣の団地にあるコンビニのトイレを借りようとも考えた。

 結局断水は2週間ぐらい続いた。水が出て最初にシャワーを浴びた時は、ほっとした。水というものは本当に有難いものだと実感した。(水が出たことは、トイレのタンクに貯まる音でわかる)


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