毎日が南無阿弥陀仏



 三月中旬以降、とりあえず原子炉や使用済み燃料プールに海水を注入して何とか事故の拡大を防いでいた。しかし私の地域は放射線が高く、あまり外に出たくないので、自宅で過ごすことが多かった。家の中でも原発事故のこと、放射線のことが頭から離れない。本当に原発事故はこれ以上悪化しないのだろうかとか、大きな余震でまた振り出しに戻るのではないだろうかとか、心配の種は尽きなかった。しかも第一原発は4基だけではない、5号機6号機もあるのだ。おまけに10キロ南の第二原発には出力の大きな原子炉が4基もあるのである。かろうじて事故を免れていたとはいえ、こちらも安全とはいえない状況が続いていたのである。
 外に出ないと運動不足になる。そこで家の中でうろうろ歩き回ることになる。なぜか私は、居間のコタツの周りをぐるぐる回りながら南無阿弥陀仏を唱えていることが多かった。特に宗教心がある訳ではない。我が家には仏壇も神棚も十字架も何もないのであるが、自然にそうなっていた。おそらく精神を落ち着かせようとしていたのであろうと思う。結構長い期間、数ヶ月はそういう状況が続いた。
 そのうち、朝目覚めたら、今日も生きて朝を迎えられたんだなと、自然に感謝の念が湧く様になった。夜寝る前も、今日も無事に過ごせて良かったなと思うようになった。そうしたら少し精神的に落ち着きを取り戻した。

 実は原発事故では、8割ほどの確率で助からないかもしれないと思っていた。一号機、三号機、四号機の水素爆発の映像を見たら、こりゃ無理だと思うわな。おまけに二号機は格納容器が壊れているらしい。一時的とはいえ放射線を普段の数百倍浴びた。時間とともに少しずつ放射線量は減っているとはいえ、それでも悲観的になるのに無理はない。
 もしあの世というものがあるのなら、数年前に死んだ親父に会うかもしれない。その時、大きな地震と津波があって、原発が大事故を起こし大変な思いをしたと話をすることになるなとも思っていた。だからテレビで事故の様子を見ながら、これがこの世の見納めかとか、これが親父への報告になるんだなとも思っていた。



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