商品が無い



 スーパーは早めに営業を開始していた。しかしかなり長い列が出来ていたので、すぐには利用しなかった。コンビニはすいていた。しかし肝心の品物がない。ミネラルウオーターがなく、清涼飲料水が一人1本まで。おにぎりやパンもなかった。腹の足しになるものといえば、ポテトチップスなどのお菓子の類だけだった。二、三日経ってからスーパーに出かけた。相変わらず込んでいる。こちらも肝心の品物がない。納豆がほしかったけれど、皆無である。茨城県の工場がかなり被害を受けたらしい。野菜など生鮮食料品はそこそこあったけれど、断水の中洗浄が必要なものは買うわけにもいかない。一番良いのは面倒のない惣菜類なのであるが、断水中なので惣菜はほとんど置いていなかった。調理に水を使わない冷凍品の揚げ物はあったような気はするが。それでもみんな余震が続く中、長いレジの行列を辛抱強く並んでいた。スーパーの天井が一部剥げ落ちているので、余震はとても怖かった。

 家の中にあるもので食事を作るしかない。にんじんと干しわかめがあったので、これをカレーのルーで煮込んだ。これが意外と美味しかった。

 別のスーパーではたまにパンが置いてあった。沢山買い込みたいのはやまやまだったけれど、他の人が困るだろうと思って当日必要な分だけに留めた。これも家に缶詰やレトルト食品など、ある程度の備蓄があったため、心に余裕があったためであろう。日頃の備蓄が精神の余裕を生むことが強く感ぜられた。結局、家の備蓄食料には殆んど手をつけずに済んだ。なんといっても、物流の車の燃料不足でいつ食料が絶たれるか不安だったので、出来るだけ最終備蓄品には手をつけたくなかった。

 原発事故で福島県に物が入ってこないという不安もあった。トラックの運転手が嫌がっているとの話も聞いた(気持ちは分からないではないが)。その時に備えて、ひと月ぐらいは自宅にこもって備蓄で食いつなごうと真剣に考えていた。

 食料品以外でも、当然物資不足だった。割り箸を買うのにも一苦労だった。基本的にみんなが欲しいと思うものは、不足していた。


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