郵便局にて



 3月15日以降、我が地域でも放射線量が高く、これから更に事故が拡大する懸念も続いていた。運転停止中の4号機までが放射能放出の危険をはらんでいた。4号機は停止点検中で圧力容器には核燃料はないけれど、使用済み燃料保管プールにある大量の使用済み核燃料の熱で、保管プールの水が蒸発し、無くなりかけている状況だった。水がなくなると燃料棒が損傷し、大量の放射能が放出される。都合が悪いことに、4号機までが水素爆発を起こし建屋が大きく破損していて、ほとんど外部への放射能漏れを防ぐ機能は失われていた。ほかの原子炉の使用済み燃料も、時間が経てば同じような状況になるかもしれない。実はセシウムの量は使用済み核燃料の方が多いのである。

 だからこれ以上に事故が拡大して、我が地域にも避難命令が出るかもしれないと思った。避難するとなるとかなり遠くの、おそらく他の都道府県の体育館なりに避難ということになる。そうなった場合、一つ大きな心配事があったのである。
 それは東京にいる娘のことである。当時娘は大学生だった。避難前後のドサクサで、仕送りが出来ない状況になることを恐れたのである。だから今のうちに1年分くらいはまとめてお金を送っておこうと思った。しかし銀行までは遠い。高い放射線量の中を長い時間外には出たくない。そこで3月18日の朝、近くの郵便局から、お金を送ることにした。バイクで10分ほどだから、さほど放射線は多く浴びないだろう。ただバイクは雨ざらしだったので当然バイクは汚染されている。断水中なので洗車はできないのであるが、一応バイクを拭いて出かけた。(運悪くサドルに亀裂が入っていてそこから雨水が浸入している。しかしそういうことは気にしていられなかった。そう、ここは戦場と同じなのだ)

 田舎の小さな郵便局なので客は少なかった。私とおばあさんとその人の息子と思われる人だけだった。おばあさんは貯金を下ろしに来ていた。でも通帳なりは持っていない様子。その時の不安げな空気は今も忘れない。原発事故で避難してきた人だろうか。息子を頼りにここまできたのだろう。そう思うとなんとも居たたまれない気持ちになった。



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