古代史


  古代史、特に日本の古代史の本は沢山読んだ。しかし読めば読むほどに謎が深まるのである。そもそも日本の歴史書は、日本書紀が正史の始めとされている。もちろん古事記の方が若干古いと言うことになってはいるが、これは正史ではない。古事記偽書説もあるくらいで、いまいちはっきりしない。

 さて日本書紀であるが、これは天皇家の正当性をまとめ上げたものである。一貫して、天皇家は古くからの日本の統治者であると言う書き方である。しかし内容に矛盾点は多い。神代は論外としても、直近の出来事でも疑問が多いのである。例えば天武天皇は天智天皇の弟となっているが、実は天武天皇の方が年上なのである。これはおかしい。そもそも日本書紀は、天武天皇の時代に編纂が命じられたもので、完成まで随分かかったが、たかだか数十年前のことを間違えるはずはないのである。

 直近でもそうなのだがから、それ以前のことは信用がおけない。当時の政権にとって都合よく書かれていることは明らかである。だから日本の古代については、いろんな説が出る。本職の学者以外に、作家、推理作家、アマチュア歴史家までが加わって、収拾がつかないのが現状である。物的証拠がほとんどなくて、記録も残されていないのだから、みんな好き勝手な論をぶち上げて自分が正しいと主張している。頼りになる中国の歴史書には、記述がほとんどない。大体日本の古墳時代は中国動乱の時代であったから、歴史書を残す余裕もなかった。

 そもそも歴史書と言うのは、中国では王朝が替わった時、数十年たって前の王朝の出来事を書き記すのが常とされている。自分の王朝に都合が悪いことは書くわけがない。日本でも現王朝、現政権に都合のよいことを書くのが、当たり前と言うものである。日本書紀の様にうんと古い時代まで書こうとすれば、相当な無理をしたに違いない。誰も生き証人がおらず、記録もないとなれば、かなり物語を作り上げたに想像は難くない。

 歴史書とは、昔の事実をそのまま忠実に書き表すものではないのである。だから現代でも歴史教科書問題で揺れているのである。歴史書とは編者の考え方を述べたものなのである。つまり編者の思想の表明なのである。

 100人いれば100人の歴史があるのである。このことを理解しないと、互いを理解することは出来ない。
 


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