めでたいもの


 めでたいものに「松竹梅」、めでたい初夢に「一富士、二鷹、三なすび」なんてあるが、私には実感が乏しいのだ。それは私が生まれ育った青森には竹は自生していないし、富士山も見えなかったからである。竹は北国にはない、笹がせいぜいである。富士山が見える地域も少ないであろう。だからこれらのめでたい言葉は、本当はかなりローカルな地域でしか通用しない言葉なのだ。地勢的に見れば、東京は日本全体から見れば、ごくごく局地に過ぎないし、関東地方も小さな地域にしか過ぎない。これらの地域で日常的といっても、他の地域で日常的とは限らないのである。

 同じようなことは卒業式の時もあった。卒業式に桜の歌が登場したのである。三月末には青森では桜は咲かない。梅だって咲くかどうかわからないのにだ。さすがに評判が悪くて一年で取りやめとなったが、こういう季節のことを全国一律に捉えるのは、とても大きな間違いである。
 さて沖縄でも「蛍の光、窓の雪」と歌っているのだろうか。

 気象情報についてもそうである。北日本の一部を除いて全国的に天気は良いでしょうと言われても、北日本の一部に住んでいる人にとっては、ちょいと腹が立つのである。報道自体全部東京中心だから、身の回りの状況で話を進め勝ちだが、時々は地方をキーにして、つまり各地方持ち回りで全国報道した方が良い。地方は元気になるぞ、きっと。非常時のための予行演習にもなるし。

 中央主権的な時代はもう終りにした方が良い。災害被害の分散化上も必要である。各地、各地域が、自分達の感覚で、めでたい言葉を持つようになって欲しい。
 


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