日本語


 日本語は論理的な言語である。あれ、そうなの、とは言わないでください。そうに決まっているのだ。でなけりゃ日本でこれだけ科学技術が発達するわけはないし、法律文や契約書、社会生活が成り立たないではないか。文法だってきちんとあるのだ。学校で習ったでしょ。
 日本語に限らず言語というものはおよそ論理的である。論理的でなかったら他人とのコミュニケーションが成り立たない。役に立たないのだ。だから言語は基本的には論理的なのである。

 日本語が論理的でないと思われるのは、使っている人が論理的でないからである。それだけの話である。日本人に、論理を駆使する習慣が乏しいからである。あうんの呼吸、腹芸、気配り、日本人の情緒性がそうさせているのである。日本語のせいではない。

 確かに日本語は欧米諸国や中国の言語とは大きく異なる。しかし全くの孤立語ではない。文法的にはトルコ語、モンゴル語、満州語、朝鮮語といったアルタイ語族に属するのだ。トルコ系の人はヨーロッパの端にまで住んでいるが、もともとはモンゴル高原辺りにいたのが、どんどん西へ移動して広がったので、起源は東北アジアである。だからアルタイ語族はおおむね中国の北辺の言葉と言える。しかし語彙の対応はこれらアルタイ語族とは乏しいのである。むしろ南方諸言語との類似性が指摘されている。日本語はやはり日本人の民族構成と同じで、アジアの寄せ集めなのかもしれない。

 日本語の成立起源は謎に包まれている。日本の古代史が謎だから、こちらの方の解明が進めば、分かるようになるかもしれない。歴史と言語は大きく連動しているから。

 また支配者と一般庶民の言葉は、最初は大きく異なっていたかもしれない。時間が経つにつれて、しだいに融合して日本語が出来上がったのかもしれない。そういうことは大いにありうることである。
 


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