写真を撮らない訳


 私は写真を撮らない方である。観光地に行っても写真を撮ることはまずない、本当に必要な時しか写真は撮らないのである。

 なぜかと言えば、写真を撮ると感激が薄れるからである。写真を撮ろうとすると、どうしても感覚が中断する。良い風景を楽しんでいる時に、その写真を撮る行為によって、その楽しんでいる感覚が中断されてしまうからである。その時その時の感覚を、連続した流れで大事にしたいのである。

 だから記録を取るため、どうしても必要に迫られた時以外は、写真を撮らない。思い出は写真の中でではなく、記憶の中でという考えである。

 こういう性格は小さい頃からあったようだ。授業時間でノートをとることはしなかった。先生の話の最中にノートをとると、思考が中断してしまうからである。話の流れがわからなくなるのである。それはとても先生に失礼なことだと思っていた。その代わり一生懸命先生の授業を聞いていた。
  
 結局は思考や感傷の流れを中断するのが嫌いなのである。例えば音楽を聴いていて、途中で電話が鳴ったら嫌でしょう。それと同じである。

 つまりは日常的に物思いにふけっているタイプなのである。良く言えば思索的、悪く言えば考え込むタイプなのだ。

 この考え込むタイプというのが曲者である。良いことを考えている時は良いけれど、悪いことを考えている時は要注意なのだ。そういう時は気分転換をしなくてはならない。

 気分転換で一番良いのは入浴である。なぜなら私は、めったに風呂に入らないから。

 


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