職業


 今私に、職業は?と聞かれたら、無い、としか言いようがない。期待される答えは、無職だろうけれど、無職という職業はないから、そう答えるしかない。職業がない状態が無職だからね。有職ですか、無職ですかと聞かれたら、迷わず無職ですと答えるだろう。
 日本全国でも、半分ぐらいは無職だと思う。学生、年金生活者、専業主婦も、正確には無職である。

 寺山修司は自分で職業「寺山修司」と言い放ったそうだが、私のような無名人には、とてもそんな真似はできない。頭おかしいんじゃないのと思われるのがおちだ(事実おかしいけれど、それはさておき)。よって、無いものは無いとしか言いようがないのである。

 だから職業を聞かれるのが一番困る。別に無職で悪いわけじゃないけれども、答えるのに一瞬間合いがあく。無いものを聞かれるのは答えにくいのである。確かに憲法上国民の義務として、勤労の義務があるのだけれど、病人の場合は緊急避難的に義務は免除されるべきだと思っているから、その辺は別にしてもだ。
 子供のいない人に向かって、何人子供がいますかと聞くようなものである。

 新聞テレビでも、事件があると、無職○○さんと出る。余計なお世話である。有職者には、例えば会社員△△さんと出る。別に職業が関係ない場合でもわざわざ付ける。人を職業で判断しているようで嫌だな。わざわざ職業名を付けるのだから、それなりの意味を感じてのことだろうけれど(単に警察発表を流しているだけかもしれないが)、その意味に差別的なニュアンスを感じるのは、ひがみ根性からだろうか。

 ということで、最近は自由業とでも名乗ろうかと思っている。自憂業でも良いが、ちょっと陰気だから止めておく。自遊業、まだそこまでは居直れない。

 職業に貴賎はないと言われる。有職、無職にも貴賎はないだろう。必要がないのに職業を公表しないで欲しいな。


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