洞爺丸事件


 台風で青函連絡船洞爺丸が遭難したのは、昭和29年の秋であった。1000名以上の死者を出した、戦後第一級の大事件であった。当時私は2歳であったので、知るよしもないが、実は全く無関係ではなかったのである。

 隣の人が亡くなったのである。鉄道郵便局に勤めていて、洞爺丸とともに運命を共にしたのであった。隣といっても長屋住まい、薄い壁を隔てただけのお隣さんであった。そして幽霊が現れたのである。

 その日の夜、母は台所仕事をしていた。しかしいきなり棚からざるが落ちてきたり、背中がぞくぞくとするのであった。そして次の日の明け方、兄は見た、白いものがスーと部屋を横切っていったのを。私は眠っていた。私の上を白いものが横切ったかもしれない。
 隣の人たちは遭難の知らせを受けて、現場に急行中で留守だった。うちにいないか確かめに来たのかもしれない。

 この件で唯一私が記憶しているのは、葬儀用の花輪が立てかけられていたことである。幼い私にとって、鮮烈だったのであろう。


戻る