エコとエゴ


  環境問題が表面化してから久しくなるが、一向に改善されていないのが現状だ。確かにごみの分別収集や、リサイクルはある程度は進んでいるけれど、根本的なところは依然手つかずだ。根底に大量生産大量消費の使い捨て文化がある限り、抜本的には改善できないだろうと思う。ごみ問題は人間のエゴの象徴とも言える。こういう現実に対して江戸時代を見習えという機運が高まっている。江戸時代は自給自足のリサイクル社会だったというのは良く知られるところだ。とはいえ全くごみがなかったわけではなく、江戸のごみで江戸湾の埋め立てをしていたけれど、現在に比べれば微々たるものであろう。それで全国で3000万人が暮らしていた。

 日本人は資源の乏しい狭い島国で生活していたので、基本的に物を大切にする人々だ。少なくとも40年前まではそうだったのではないか。家ではトイレットペーパーは新聞紙だったし、ごみ収集なんて月に一回ぐらいしか来なかった。それで何の不自由もなかったけれど、ともかく今はごみが多すぎる。週に何回も出すなんて、うんざりだな。ティッシュペーパーから、包装紙、梱包材、ダイレクトメール、ペットボトルから、空き缶、空き瓶、ありとあらゆるものがごみだ。電化製品はどんどん粗大ゴミになっていく。

 こういうことを考えて、私はなるべくごみを出さないようにしている。生ごみはコンポストに入れて、堆肥にしている。ペットボトルはなるべく買わない。水は水道水に浄水器を取り付けている。コーヒーやお茶は自分で入れるし、基本的にはあまりごみを出さない。それでもごみが多いのは、家族が自分勝手にごみを出しているからだ。教育が必要だな。
 教育といえば、会社勤めのころISO14000取得運動があって、徹底的にごみの分別、省エネ、環境汚染対策を叩き込まれた。フロアの推進責任者だったから、それなりに自分でも勉強した。毒物・劇物・危険物も扱っていたので、取り扱いマニュアルや、事故・緊急事態対応マニュアルも作った。ずいぶん勉強になったと思う。企業で環境問題を起こすと、下手をすれば潰れかねないからね。そういうのも手伝って日本の工場はどんどん海外に出て行ってしまった。コストだけの問題じゃないと思うよ。
 一方家庭では厳しい締め付けがないから、あまり実感がないのかもしれない。高度成長期に育った人たちは特にそうじゃないのかな。どうしても便利な方へ流れていく。自分さえよけりゃ良いんじゃないという雰囲気は、社会全体のものだな。ごみ収集は有料化したほうが良い。ごみ一袋100円ぐらいにしなければ、ごみは減らないだろうよ。自分の懐が痛まない限り、わからないから。

 一方地球温暖化は、化石燃料を使っている限り止まりそうもない。今は先進国が主な二酸化炭素の排出源だけど、これからは中国やインドといった国が問題になってくる。なんてたって人口が多いし、それにいい生活したいと思うのは、どこでも同じだからね。かといって原子力は問題が多いからね、核の廃棄物をどう処理するつもりなんだろう。何百年にもわたって、きちんと管理できるなんて、とても思えない。後世に、つけは回さんでくれ。恨まれるぞ、きっと。
 今結構有望なのが、風力発電かな。安定供給に難があるけれど、発電した電気で水を電気分解して、水素を取り出して貯蔵しておいて、燃料電池や水素火力発電に使えれば良いんだけれど、問題はやはりコストなんだよね。今できることは、省エネと発電の効率化、炭素分の少ない天然ガスに切り替えることかな。
 


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