自虐的?それとも


 自虐的とは「自分で自分を苦しめるさま」と辞書にはある。私はもう少し広い意味でとらえていた。自分で自分を笑い者にするという意味も含めていた。そちらの方は自嘲的といったほうが正しいのかもしれない。

 自虐はしない方が良い。自分で自分を苦しめても何の役にも立たない。自分でやらなくたって、世の中他人が苦しめてくれるものだから、わざわざ自分までが自分を苦しめる必要はないのです。

 と、ちょっと斜めに構えすぎた書き方をしてしまったが、まあそういうことだ。

 苦しめるとは、肉体的にだけではない。精神的においてでもある。自分の責任を過剰に考えて、自分を責めるのは良くない。一見責任感が強く、立派なことだと思いたくはなるが、これが鬱病のきっかけになるのである。鬱病患者本人が言うのだから間違いない。
 
 自虐が過ぎると、自罰的になるから注意が必要である。本来動物は自分を守ることを最優先するものである。人間とて同じである。世の中、言い訳、弁解、言い逃れ、居直りがまかり通っているではないか。これが人間の本能なのである。普通、自分で自分は罰しないものなのだ。

 自罰の裏には他人への攻撃性が隠されている。本来他人を攻撃したいところだが、優しさゆえにそれができずに、攻撃性のはけ口が自分へ向かうのである(自分が未熟だった、無能だった、無力だった等)。
 本当は他人が悪いと思っているのである。しかし他人を攻撃することは良くない事だと思っているから、それができずに、攻撃エネルギーが自分に向かうのである。鬱病患者に、真面目で秩序・協調性を大事にする人が多いのは、これが理由である。
 だから不真面目で、自分勝手で、他人に攻撃的で、社会の秩序を認めない人は、鬱病にはかかりにくいのである。その代わり周りの人がえらい迷惑を受けるのであるが。

 自罰は本能の破壊でおこる。そしてその結末は悲惨である。だからなんとしてでも、防がなくてはならない。そのための一工夫を提案しよう。

 ”笑いましょう” である。 でもそんなことはできない、とおっしゃる方へ。

 まずは自分で自分を笑いましょう。そしてこうつぶやくのです。

 「今までは自虐的だった、これからは自ギャグ的に生きよう」と。


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