満ち潮


  私には鬱病の持病があって、今まで随分苦しい思いをしてきた。最近になってようやく何とか落ち着いているが、いつ時悪化するのかは、わからない。しかしその逆もある。何の前触れもなく、突然良くなることがあるのである。このときの気分はとても晴れがましく、充実している。まるで満ち潮の様に、ひたひたと精気が押し寄せてくるのである。こういう時は苦しかった鬱の時の気分をすっかり忘れてしまうのだ。不思議なことに、苦しかった鬱が、うその様にきれいに霧散してしまうのである。そういう意味では鬱病は、何の障害も残らずに完全に治る病気である。

 しかし残念ながら、あまり長続きはしない。せっかくいい気持ちになっても、しばらくすると普通の状態に戻るのである。ちっとも面白くはないのだ。そしてまた鬱が悪化する時がくる。鬱になる時、これは大体前触れがある。やはり疲れた時、気落ちした時、一段落した時にちょっと嫌だなという気持ちがあって、その後ずずずーと悪くなっていく。こうなるともう、良かった時の気分が全く思い出せない。本当に完璧に忘れてしまうのだ。だからそのうち良くなるだろうなんて、楽天的には考えられないのである。

 つくづく人間とは不思議なものだと思う。気分が良い時には悪い時のことが、気分が悪い時には良い時のことが全く理解できないのだ。いくら記録に残しておいても駄目である。そもそも読む気など起こらない。読んだとしても理解できないのだ。気分とはそういうものだ。

 だから人への接し方も難しい。どうしても自分の気分で接してしまうからだ。自分が欝の時、ニコニコ笑いながら話しかけられると、うるさいだけである。ただそっとしておいてくれと言いたくなる。どうしても人を避けるようになる。逆に調子が良い時は(あまりないが)、人にお構いなくこちらから話しかけていく。

 しかし文章を書く時はちょっと違うのである。調子が良い時は、想像ばかりが頭の中を巡って、それが楽しくて、とても文章を書くといった作業はしたくないのである。調子が悪い時は当然頭の中がまとまらないので文章は書けない。だから文章を書く時は、少しだけ鬱気味ながらも、書いているうちに調子が出てくるといった状態が一番いいのだ。

 そもそも私は、文章を書く最初のうちは、あまり気分が乗らない方である。しかししばらくすると調子が出てきて、何とかまともな文章を書ける状態になる。しかし書いているうちに疲れてきて、能率が落ちてくる。だから長い文章は書けないのである。

 そろそろ能率が落ちてきた。ということで、このエッセイはお終いにしよう。「鬱病は何の障害も残らずに完全に治る病気である」と再度書き残して。

PS:鬱の時は天井の蛍光灯などの明るい光を見ていると良くなることがあります。
 


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