闘病記


 最初の鬱病から25年。その間、他にもいろんな病気をしてきた。しかし私には病気と闘った記憶がない。もちろん闘病記を書こうと思ったこともない。
 
 図書館に行くと、結構闘病記が並んでいる。ガン関係が多い。死と向かい合いながら生きていく姿に、感動する人が多いからであろう。しかし、顔面神経麻痺、突発性難聴の闘病記は見たことがない。直接命に関わらないからだろうか。鬱病の場合はたまにある。

 鬱病は死に直結する病である。心のかぜどころではない。心の肺炎なのである。しかし鬱病の闘病記をリアルタイムで書くのは、かなりの困難を伴う。
 それは鬱病が気力を失わせる病気だからである。何もしたくなくなる病気だからである。だから闘病記を書ける状況と言うのは、病状が軽い時か、文章を書くことが習慣的になっていて、さほど苦にならない場合である。
 
 鬱病が治ってから書く場合はあろう。その場合は体験記ということになろうか。

 しかし鬱病の体験記はなかなか書きにくい。まずは人に知らせたくないのである。私のように居直る人間は別として、鬱病ですとわざわざ人知らせるのは気がひけるのである。そしてもう一つは、もう思い出したくないからである。すっぱりと縁を切りたいのである。鬱病の苦しみはもうこりごりなのである。そして意外にも、良くなると病気時の気分を忘れるのである。いやだった、苦しかったという意識は強烈に残るが、気分まで正確に思い出せないのである。

 だから体験記もなかなか見受けられない。著名人で出版した人は若干いるが、普通の人はなかなか独力では書きにくいのである。

 なお、最初に、私は病気と闘った記憶がないと書いた。これは忘れたのではない。本来的に私は病気と戦わない人間なのだ。病気は自然現象の一種で、勝負を挑んで勝ち負けを争うものではないと、思っているから。
 もちろん治りたい気持ちはある。だから医者にもかかるし、養生もする。しかし自然相手ではなるようにしかならないと考えているのである。それは私自身が自然の一部だから。


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