あれかこれか


 絵画などを評して、やれ猥褻だの、いやこれは芸術だのといった議論が時折出る。こんなばかばかしい話はない。水を評して、水は透明である、いや冷たいだのといった議論と同じである。次元が違う話を同じに扱ってどうするんだ。見る人が猥褻だと感じれば猥褻なのであり、芸術性を感じればそれは芸術なのである。あれかこれかという問題ではない。人によっては両方感じる場合もあるだろう。こういう次元の違う話を一まとめにして、二者択一をせまるのは筋違いと言うものである。

 似たような話に、教師は聖職者か労働者かという議論もある。これも両方正しいのである。両面性を持っているのである。どちらか一方と決めつけるのは良くない。まあ、最近の教師は生殖者の面も持っているようだが。

 冗談はさておき、私が言いたいのは、物事の一面だけを捉えて、他の面を否定すると言った態度は良くないということである。物事は多面的に捉えなければいけない。そういうことが他人の価値を認めることであり、自分の心を豊かにすることだと思う。社会全体でもそうでしょう。グローバルスタンダードとかいって、特定の価値の押し付けは困る。結局は米国流の資本主義に過ぎないではないか。優しさに欠けた強者の論理である。

 米国は先住民を追い払い建国した国である。開拓者だと言っても、先住民から見れば侵略者である。新大陸だと言っても、先住民にとっては父祖伝来の土地である。神様が授けてくれた土地だと言っても、先住民にとっては勝手な思い込みである。

 この点はイスラエルとパレスチナの関係に似ている。米国がイスラエルに強く出れないのは、政治経済的にユダヤ系の発言力が強いからだけではなく、自分の建国過程とダブル点があるからであろう。

 自分の価値観だけを押し付けても嫌われるだけである。ちょっと話が飛躍してしまったが。


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