明日はきっとやってくる


 「明日はきっとやってくる」なんて、証明できますか?

 ん、これは難問、難問。難しいなあ。
 しょせん証明は無理である。これは明日になってみなければ、わからないことなのだ。誰も明日のことをわかる訳がないではないか。
 
 じゃあ何で「明日はきっとやってくる」って言えるんですか?

 それは、えーと、経験上そうだったから。そう、そう、経験上そうだったからである。
 まあ何と言おうか、ずうーとそうだった。そう、生まれた時から、今までずうーとそうだったからである。つまりは確信的予測である。

 私にとっては、50年間一度も裏切られたことのない予測である。強いて言えば経験則である。これは地球上の全ての人にとっても、共通の経験則である。あなたにだって同じでしょう。
 だから証明しなくても正しいのである。これは共通の認識なのである。地球の外、遠くはるかに離れたところでは、どうなるかは知らないが。

 じゃあ、なんでそんな当たり前のことをわざわざ言うんですか?

 あー、それは人を勇気づけるためである。明日になれば良いことがあると、勇気づけるためである。今日失意の最中でも、明日になれば良いことがあるから、「くよくよしなさんな」と言いたいのである。つまりは楽観の勧めである。わかったかな。

 ふーん、でも明日がひどい日だったらどうするんですか?

 あー、あー、それは困ったな。うー、うーん、そう、それは考えない約束なのだ。そう約束ごとなのだ。それが社会の決まりごとなのだ。そうそう、明日のことはわからないのだ。だからそういうことは考えないのだ。楽観の勧めだから。

 ということは、何も考えずに言ってるってことなのね。

 いやいや、まいったな。本当は「生きていれば、明日はきっとやってくる」と言いたいのだ。そう、生きていれば必ずそうなる、それを毎日続けましょうということなのだ。
 つまりは生きていて欲しいということなのだ。ただそれだけなのだ。生きて明日を迎えましょうということなのだ。長い間にはチャンスがあるから。
 わかってくれたかな。

 
 あーあ、わかったような、わからないような、変な文章になってしまった。


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