人生恥多し


 誰にでも恥ずかしい思い出はあるだろう。生きていくうちに、だんだん恥が積み重なって、人生恥多しとなるのだが、それは当然のこと。だから恥が多いと悩む必要などないのである。もちろん、私にも恥は多いのである。

 どんな恥かというと、それは言えない。なぜなら恥ずかしいからである。とても公表できないから、恥なのである。 ”期待を裏切って、ごめんね。” そういうことだから、今日のお話はお終いにしよう。

 とっ、とっ、とぅ、それじゃエッセイにならないでしょ。

 じゃあ、もう少し書くか。

 人間ある程度年を経てくると、中年のおばさんを見ればわかるように、恥はあんまり感じなくなるのである。恥とは他人の目を意識するから生じるのである。実際他人の目ばかり気にしていたら、世の中生きていくのは大変だから、年を経るにつれて、世の中に適応して、他人の目などは気にせずに、恥の感覚が鈍ると言おうか、恥じなど屁とも思わなくなるのである。こうして人間はしぶとく生き残るのである。

 だから、恥を感じているうちはまだ若いのである。青年の感覚が残っているのである。私にもまだ少しは恥の感覚はある。だから恥の経験は書けないのだ。

 恥ずかしい思いで悩んでいるあなた。あなたは若い。恥なんて多くても構わない。そのうちなんともなくなるから。心配しないで、年をとりなさい。

 えっ、若いのに恥なんて関係ないって?それは重病である。もっと周りの人に目を向けなさい。あなたの行為が人に迷惑かけているかもしれないよ。電車で携帯使ったり、股を広げて座席を占領したり、そんなことしていないかな。
 
 若い時には恥の感覚は必要なのである。恥ずかしい思いをして成長するのである。でなけりゃ立派な大人にはなれないのだ。

 かといって全く恥を感じない大人も困りものなのである。そういう人に限って、今の若い者はと言うのである。
 


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