自由の女神


 アメリカのニューヨークの自由の女神。観光名所となっているそうだが、これがいまいち腑に落ちないのだ。そもそもがフランスからの寄贈品であるが、まあそれは良いとして、なんでキリスト教国のアメリカにあるのかが、不思議なのである。
 
 キリスト教と言えば、言わずと知れた一神教である。しかし自由の女神など、多神教の神様ではないか。いわば邪教の神である。これを受け入れているアメリカ人たちは、本当にキリスト教徒なのであろうか。おかしいではないか。
 いや、聞くところによると、アメリカには、かなり敬虔なキリスト教徒が多いらしい。しかし、いくら信教の自由の国とはいえ、邪教の神をありがたがっていいものだろうか。大きな疑問だ。

 とは言うものの、いやいや、まあまあ、アメリカ人は自由の女神を信仰の対象としては見ていないのが、実情であろう。だから私が今まで言った事は、ただの皮肉である。でもこういう皮肉を言ったのは、宗教というものは結構いい加減なところがあると言いたいがためである。

 宗教は広まるにつれて、各地の土着の宗教と融合するのである。一番わかりやすい例は日本の神仏混交である。本来仏教と神道はまったく異質の宗教であるが、日本では仏教が根付くと共に神道と合体してしまった。お釈迦様が見たら、何じゃこれ、自分の考えと違うじゃないかと思うであろう。同様の事は世界各地によく見られるのである。

 それと共に時が経つと宗教は変質する。そして、いろんな宗派が誕生するのである。そもそも教祖は自分の考え全てを言い残す事はできないし、また全てを知り尽くしているわけではないから、あとあと時代が変わると共に、都合の良い解釈が生まれ、それが受け入れられていく。ま、そういうものなのだ、宗教とは。

 さて、今のアメリカの現状をキリストが見たらどう思うであろうか。戦争ばかりして、この不心得ものが、と嘆くだろうな。それとも、罪深い人達よ、悔い改めよと言うのであろうか。まさか、罪は自分が全て背負うから、好きなようにやりなさいとは言わないだろう。

 アメリカの皆さん。どうかキリストの心を理解してください。
 


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