名曲がない


 最近CDの売上が随分減っているそうだ。違法コピーが流行っている上に、名曲がないのが原因なのだそうだ。作曲家は沢山いるだろうに、名曲がないというのは不思議なことだ。インターネットで素人でさえどんどん自作曲を発表しているのに、それでも名曲が出ないとは。それに、こんなにも世の中に音楽がありふれている時代はないと思うのだが。
 理由として一つ考えられるのは、歌が商品化、しかも消耗品化していることだ。歌を作ったり歌ったりすることが、一発当たりのヒットねらい、つまり投機的な発想になってはいやしないだろうか。またやけにプロモーションが横行し、じっくり聴かせることがないのも、興ざめである。純粋に歌を愛し、音楽を愛し、そして人間を愛することが欠けているのではないかと思うしだいである。

 そこで最近は、世相的にも昭和を懐かしむレトロブームとあいまって、昔の曲が復活している。確かに昔の曲は情感にすぐれ良く歌詞がわかり、何を伝えたいのがわかるものが多い。私の様にフォークソング全盛時代に育ったものとしては特に共感がわく。日本語で日本のリズムにのっとって作られているし、バックバンドが控えめで、歌い手が中心になっているのが良い。
 最近の曲はおおむねこの逆である。バックバンドがやたらにうるさいし、歌詞もちゃんとした日本語になっていない。曲名自体もいったい何語なんだろうと思ってしまう、とても日本人向けとは思えないものが多い。もちろん外国人向けというわけではない。
 
 米国のポピュラーソングを聴いて一つ気がついた。英語の歌は、メロディアスのみならずリズミックで、バックバンドと良く調和しているのである。ドラムスにも負けていない。日本語の歌とはこの点が随分違うのである。日本語の歌はドラムスとはあまり相性がよくないのである。それにもかかわらず、バックでバンバンドラムスを打ち鳴らすから、不調和なのだ。要するにうるさいだけなのである。
 本当は伴奏はピアノだけでいいのである。でも歌手が下手だから、バックバンドで大きな音を出してごまかしているのである。これでは人の心に訴えることはない。刺激的な音で注目させようとしているだけなのである。売れるわけがない。

 さて昔の曲、特に70年代の曲で良かったのは、初期のアルバムに収められた曲である。まだ素人の純粋さを持っていて、感性に訴えるものがある。私が好きなのは五輪真弓の少女、中島みゆきの時代、荒井由美の雨の街を、因幡晃のS.Yさん、オフコースの幻想、小椋佳のさらば青春等である。ストレートに素直に心の中に入ってくるものが一番良い。
 


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