何も悪いことはしていない


  私は何も悪いことはしていない、これは責任逃れでよく出てくる言葉だ。特に官僚の間では、常套句になっているように見受けられる。官僚と言うのは、万事前例主義だから、前例がないと何もしなくて済むと思っているようだ。前例通りやった、だからそれで良いのだともとれる。こうして悪い法律は放置され、税金の無駄使いが横行する。国民の大事な年金や保険に穴をあけても平気なのだ。

 しかしである。世の中はどんどん変わっているのだ。明治以来の官僚制度にどっぷり浸かって、国民の目線がわからなくなっているのは、とても困るではないか。公僕という言葉は死語なのか。自分がえらいと思ったらおしまいだよ。

 一方民間会社ではこうはいかない。万事結果が全てである。良かれと思ってやったことでも、結果が悪ければ会社はつぶれる。何も悪いことはしていないでは済まないのである。いい事をしなければならないのである。社長から、新入平社員まで同じだ。結果に対して責任をとらなければならないのである。

 さてなぜ私がこの話を持ち出したかといえば、実は私自身に苦い思い出があるからである。仕事の話ではない、個人的な話においてである。若かった時のほろ苦い思い出である。

 若い時の私は本当に未熟だった。好きだった人に、何もしてやれなかった。何も悪いことをしたわけではない。しかし何もいいことをしてやれなかったのである。それが別れた後、重く心にのしかかっていた。

 仕事はとてもしんどかった。それを支えていたのが、彼女への思いであった。だから、その思いが壊れるのが怖かった。心の中だけで、その思いは膨らんでいた。だから何もしてやれなかったのである。別れる最後の時だけ二人で並んで歩いた。彼女は「私、結婚するの」と言った。私の最後の言葉は、「さよなら、元気でね」だった。

 それからは心の支えを失い、私は茫然とした日々を過ごしていた。鬱病を発症したのは、それからまもなくである。
 


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