心情編  第1話  <カラオケの夢>


  カラオケの夢。装置の夢ではなく、歌っている夢。これには思い出深いもの
があります。

  今から5年ほど前、私は突発性難聴で入院していました。左耳が聞こえない
だけでなく、めまいがひどくて歩けなかったからです。脳神経関係の病院で、
病室は八人部屋でしたが、重症の人が多くて半分は寝たきりでした。その中で
も私の右隣の人は、ほとんど意識もなく、植物人間の状態でした。半年ぐらい
以上その状態が続いていたようです。ずっと点滴を続けていたのですが、とう
とう点滴の針をさす場所がなくなってしまい、口から補給する以外方法はなく
なくなってしまいました。それから数日後のことです。
  夜になって私はうとうとしていました。隣では何かがたがたしていました。
  いつもなら痰が詰まるのを防ぐためにときどき吸引するのですが、その感じ
ともちがっていました。しかし私は自分の具合いが悪いので、ほとんど気に止
めていませんでした。その後夜中に突然夢を見たのです。夢というより半分は
目覚めていたのかもしれません。急に気分ががらっと変わりました。なぜか私
は、非常に晴やかな気分になってマイクを握り、カラオケで歌っていました。
このような気分の変化は生まれて初めてでした。病気で苦しんでいた時として
は、考えられないものでした。
  朝になって、隣を見ると誰もいませんでした。昨日の夜緊急集中治療室に連
れて行かれたと、病室の人は話していました。あのがたがたという音はその時
の音だったのです。しばらくして、隣人の息子さんが病室にやってきました。
父がなくなり、お世話になりましたと話しました。私は直感的にあの時の気分
の変化の時だなと思いました。
  あの入院で私の人生観は変わったようです。人と争い、競争する事がいやに
なりました。もちろん健康上それができないということもあるのでしょう。し
かしそれだけではないようです。人の命とか気持ちとか、大事なことは何か考
えるようになったからかも知れません。
  幸い私は歩いて退院することができました。しかし左耳は未だに聞こえず、
体調も元気な頃とは比べものにはなりません。未だにリハビリの最中の気分で
す。その中でこの作品集を書いたのは、自分自身をもう一度奮い立たせてみた
かったからです。あえて、つたない文章でも書くことにしました。それは自分
のためでもあり、ひょっとすると社会に役に立つことにつながるかも知れない
と思ったからです。
  正直言ってここまで書けるとは思ってもみませんでした。作品の中に冗談っ
ぽいのや攻撃的なものがあるのは、おそらく自分の健康状態に対するいらだち
の反動でしょう。わたしは元来そうそう融通の利く方ではなく、どちらかとい
うと気まじめな人間です。というより気の小さな小市民なのかもしれません。
それがなんとか面白い作品と言われるものを書けたのは、自分自身不思議です。

  だんだんとりとめがなくなってきました。この話はここらで終りたいと思い
ます。しかし今までの話は、すべて本当のことです。