「英語力ではなく幅広い知識力だ」
ケンブリッジ大学に1ヶ月留学した慶応大学2年の金子正利君の第一印象です。高校生のクラスで私は折に触れて「日本語でよい。日頃から浅くてもよいから幅広い知識と関心・興味を持っていればそれだけ英文の理解力も増えるんだ。例えば、僕はファッションやスポーツに全く興味がないからその背景知識がないのでそんな英文記事を読んでも何のことか全く分からない。 国際関係や環境問題なら関心があるから、少しくらい知らない単語が出てきても内容は理解できる。 英文を読めるようになりたいのなら知識の幅を広げることが肝心だ。 入試問題にしても同じだよ」と言っています。
先日遊びにきてくれた金子君の留学の第一印象も全く同じ。 「いわゆる英語の成績がよい人でも、その分野の知識がないと英文の訳はできても内容が理解できないから結局何もわかってない。 英語力というのはあくまでツール(道具)に過ぎないことがよく分かりました。先生のおっしゃっていたとおりでした」という。
英語の基礎が分かった人は、「英語を勉強するのではなく、英語で勉強して欲しい」と常日頃思っています。 日本の大学入試問題対策などではなく、(私は理数系はだめですから) 世界史や日本史、生物などをアメリカの小・中学生が使うテキストで勉強できるクラスを設けたいと願っています。 でも残念ながら、現状ではそんなクラスに参加する余裕あるいは意欲のある生徒はいそうにありません。
塾の待合室のテーブルに英文の週刊誌や雑誌を置いています。 英文の本もかなり置いています。 インターネットにも常時接続して「アメリカのホームページにアクセスしてみろよ」とか単語ゲームもあるよとかと言っています。 でも週刊誌をパラパラとめくって写真を見る程度。 インターネットはゲームにアクセスするだけ。
第二番目は、プレゼンテーション力。 これは自分の言いたいことを論理的にまとめてはっきり主張できる力のことです。 「僕らは小学校の時から、先生の言うことを黙って聞いて覚えるということに慣れて、自分の意見を発表することを訓練してきてない。 これでは外国の授業についていけないことがよく分かった」と彼は言っています。
本当にその通りです。 欧米では、質問をしない、賛成とか反対とかの発言をしない、すなわち黙っているということは、「馬鹿な証拠」とみなされてしまうのです。
日本のように「別に質問もないし、それで賛成だから黙っている」というのは通らないのです。 自分の意見をはっきりと明示するという姿勢が大事なのです。 自分の意見を主張するということは、相手の意見もしっかり聞くという態度につながるのです。 日本の子供たちはこの経験が乏しいために、自分の意見を主張もしないし、相手の意見もちゃんと聞こうとせず、自分の感情に合わない事柄に対してはすぐに「切れる」のです。 議論・討論をするのではなく、感情に合うか合わないかだけで反応しがちなのです。 小泉ブームにもその危うさを感じます。 前にも書いたように、首相や真紀子さんを批判したら抗議の電話が殺到するという現象はまさにその典型です。 こんな人はすぐに切れる子供を非難する資格などないと思います。
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