ゆとりと土曜日補習 (6/21)
 高岡、砺波、福野各高校では、5月から休みのはずの土曜日に特別補講を行っています。授業時間削減による学力の低下が心配されることに対する対策です。表面的には、希望生徒を対象にするということにはなっていますが、子供たちの話を聞くと、実質的には強制授業といえます。出欠はとらないのですが、授業の続きをしたり、中間・期末試験予定より遅れている分をカバーしたりしているとのことです。(高岡高校はまったく別の問題集の勉強だそうです)
 各校とも週に2−3回、7時間目の授業を組み入れているので、子供たちにとっては従来以上に負担になっているようです。「先生、7時間目なんか、頭働かんわ」とこぼしています。
 土曜日を休みにしていない東京などの私立高校生徒と同じ大学入試を戦うためにはやむをえない措置といえるかもしれません。でも、もしそうなら、文科省の改革案が提出された時になぜもっともっと反対しなかったのだろう。確かに有名国公立大、私立大に受かるためには本当に真剣に勉強しないとだめです。
 でも、です。「土曜補習は、生徒や保護者の要望を受けた自主的な取り組みで、いずれも自由参加としている。“ゆとり”を活用した一つの方法ととらえている」と福岡 隆 県教育長は述べています(北日本新聞、6/16)が、実態を知らない発言だと思います。「ただ部屋に閉じこもって、無為な時間を過ごすのは“緩み”だろう」とも述べておられるが、小中学生ならいざ知らず高校生まで、家にいれば無為に時間を過ごすと決め付けること自体がおかしいのではないでしょうか。また、その心配があるなら、どのように過ごすべきなのかを指導することこそが教育というものだと思います。私個人としては、自由時間を自分で計画的に利用できないような高校生は大学に進学する資格はないと考えます。さらに保護者会からの要請とはいえ、公務員の先生が、一定の謝礼を受け取って授業をするというのはおかしいのでは・・。
 5月の「散居の風」にも書いたように、進学校の高校生でも‘指示待ち’姿勢の生徒が急増しているのも事実。その態度を直す手立てを講じないで、ただ学校に拘束するだけでは力はつかないでしょう。勉強は、下の college report の田嶋君のように、各自が意識して努力しないと身につきません。彼の言うように、自分で努力することこそが生きる力につながっていくのです。

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