黒人差別 の歴史を実感



*「正義を愛し、慈悲の心を慈しみ、慎ましく歩む

 アメリカ人の親友マーサのご両親の墓石に刻まれていた言葉です。 パスコという砂漠の真中にある田舎町の墓地。 ジャンボジェット機の製造会社ボーイング本社と、世界のコンピーターを支配するマイクロソフト本社のあるシアトルから西に4時間ほどドライブしたところにある。 父親はハーバード大学を卒業後、この町を中心に裁判官や弁護士として活動してきた人。 母親レベッカは主婦ながら、本を出版したこともある人。 40年前は、この町を通り抜ける鉄道の線路を隔てて、白人地区と黒人地区に分かれていて、黒人が白人地区には住めなかったという。 レベッカは、黒人地区で公園作りや地域活動を指導し、積極的に協力した若い黒人青年に学費を出して大学を卒業させ、白人地区に住まわせたという。 この青年と結婚しようとした黒人女性の父親は「わしの地図には線路から向こうの地図はない」と言って反対したが、レベッカが説得したという。 この女性(現在63歳)の家に挨拶に立ち寄ったが、「ハイデルベルグ夫人は、自分の心の中で、いやこの町の中で今でも生きています」と敬語で話した。 

     シアトル美術館の「イーストマン・ジョンソン絵画展」を見に行きました。

 19世紀後半の南部地方の黒人の日常生活を中心に描いた絵画が中心。 その中に、黒人が聖書を読んでいるものがあり、説明を読むと「当時は黒人は読書することを禁じられており、聖書も白人牧師にお説教されるものだったので、この絵はそれに抗議するものだった」とあった。 読書によって知識が増え、差別反対運動につながることを恐れたからだ。 でも、聖書まで禁じられていたということは知らなかったので驚きでした。 今の子供たちの読書嫌いということをどうしたらよいのか悩んでいる現状と重ね合わせると複雑な思いがします。
 * 帰路、3日間ラスベガスに立ち寄りました。 「ゴスペル・ブランチ」というのをとったのですが、これはブランチ(朝食とランチを合わせた食事を食べながら、キリストの福音を称える歌ゴスペルを聞くというものでした。 その歌の一つに「神よありがとう。いつもいつもあなたさまを愛しております」という歌詞があり、それを繰り返し繰り返し、荘重な感じで歌うのを聞いていると、上に書いた事柄が思い出され「こんなに虐げられてきたのになお神に感謝を奉げるとは・・」と思わず涙がこぼれそうになりました。
 * 確かに現在では法律的に差別は全くありませんし、白人と黒人と自由に平等におしゃべりしたり、握手もします。 しかし、経済的に余裕のある白人ほど、黒人の少ない郊外に住み、子供も、お金のかかる私立学校に通わせています。 どこの社会でも、建前と本音というのが存在するようです。

 

  自立したおばあさんとの出会い

 

 パスコを訪れた夜、レベッカの大の親友だったという カルメンおばあさんの家に夕食に招待されました。 90歳ですが、アメリカ人にしては比較的狭いアパートに一人住まいをしています。 息子さん夫婦がタイで仕事をしている関係で、彼女も東南アジア系の装飾品で部屋を飾り付けていました。 大きなイアリングやブレスレット、腕輪も5本も身につけ、口紅も塗って正装して出迎えてくれました。 若い頃から大のギリシャ・ファンということで、ギリシャ音楽を流し、絶えずステップを踏みながら話をしてくれました。 姿勢もまっすぐで、耳も目も正常で「きのうギリシャの**の話を読みました」とか言う。 食事は豪勢ではなかったが、すべて手作りのものを出してくれました。 「これは友達にもらったギリシャのお酒ですが、お飲みになりますか」とふるまい、自分でも飲んでいました。
もし私がこの歳まで長生きしたとして、果たしてこんな生き方をしていられるだろうか、と感嘆してしまいました。

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