さすがは文化の国フランス (07/7)
皆さんも、画家のモネといえば「睡蓮」の絵を連想されると思います。 今回のフランスツアーのコンセプトは、「印象派画家の見た風景を訪ねて」というものでした。 パリについた初日は、日程調節のために、空港から直接、パリ郊外のホテルに一泊。 2日目から、パリの北西部に位置する印象派の創始者といわれるモネの生地や、印象派の画家たちが好んで描いたノルマンディーやロワール地方を回ってパリに入るというコースでした。
一番感じたのは、見渡す限り、小麦やブドウ、牧草地が広がり、山が全くないこと。 小川はもちろん、かなり幅の広い川でも、堤防がなく、土の土手に樹木が生い茂っている。 山がなく、急流でないので治水対策が必要でないからかもしれないが、「自然が手つかずに残っている」という感じがする。 ところどころにある小さな村も、昔ながらの石と漆喰づくののまま。 道幅も狭く曲がりくねったまま。 現地ガイドの説明によると、フランスは、日本の1.5倍の面積で、このうち、耕作(利用)可能面積は、70%強(日本は35%強)もあるのに、人口は日本の半分。 食料の自給率は170%(日本は40%弱)という農業大国。 (現在の世界的な異常気象や人口増加を考えると、日本は近い将来に食料不足に悩まされる恐れがありそう。)
印象派画家ゴッホが人生最後の72日間を過ごし墓もあるオーヴェル・シュル・オワーズの村では、彼の描いた「ノートルダム教会」や「カラスの飛び立つ麦畑」、「オーヴェルの階段」の現場が150年前とそっくりそのままの姿で存在していました。 取り立てて保存活動をしているというわけではなく、今も日常として続いているだけだそうだ。 この65キロ隣のジベルニーの村では、モネの生家と広大な庭が当時のままに維持されている。 小川を引き込んで作った広い池では、ちょうど「睡蓮」が花盛りで、まるで19世紀がそのまま生きている。 後日、パリの「オランジュリー美術館」で、広々とした楕円形の4面に描かれた「睡蓮」の大壁画(2部屋)を鑑賞し、生家の池と重ね合わせてみてきました。 印象派の絵画コレクションで世界的に有名な「オルセー美術館」や「マルモッタン美術館」(いずれもパリ)も見学し、文字通り、印象派絵画にどっぷり浸かった旅でした。
ところで、「オルセー美術館」などで、印象派絵画に関する英文カタログを探しても、見つかりませんでした。 よく言われるように、フランスは自国の文化に誇りを持ってフランス語教育に力を注いでいることの一端を垣間見せられたように思いました。 ホテルのフロントは別にして、レストランや土産物屋などでも英語はあまり通用しませんでした。 国粋主義になるのはいけませんが、千数百年の歴史と伝統のある日本文化を守っていくためにも、このフランス人の態度に見習うものがあるのではないでしょうか。 小学生から英語を教えるなどもってのほかだと改めて思いました。
途中、第二次世界大戦で、ドイツ軍の敗北のきっかけを作ったノルマンディー上陸作戦の行われた地方も一部ながら掠めて巡り、思いを新たにしました。 パリに近づくにつれて、のどかな田園風景に別れるのが寂しくて「パリに行きたくない」と口走っていましたが、パリの中心部に入ったとたん、荘重なたたずまいに圧倒されてしまいました。 凱旋門を中心に放射状に伸びた道路で区切られ、黒塗りのおしゃれなテラスのついた7,8階建てのシックな建物がずらっと並んでいる。 ガイドによると「何度か改修されているが、元の姿を維持している」そうです。 田舎で見てきたのと同じように、そこに100-150年前の姿がありました。 さすがは文化都市だ。 歴史の重みを実感しました。 高層のビル群は、はるか離れた郊外にありました。古くなり、不便になるとすぐに壊してしまって、無秩序にコンクリートのものに建て替えていく京都とは大違い。 改めてフランスの大きさ、素晴しさを知り、フランス語を勉強してみようかなという気持ちになりました。 一緒になったツアーの人たちが「アメリカには歴史も文化もないので魅力がない」と話していましたが、「行ったこともなしに批判するのはおかしい」とは思いながらも、納得する面も大いにあると感じました。
帰国の際、ドゴール空港で、迷彩服に軽機関銃を持った兵士が3人、パトロールをしているのに出会いました。 ヨーロッパにおけるテロに対する緊張の違いを実感しました。 日本も本気で考えないと、おきてからでは遅すぎるのではないだろうか。(写真は、ホームページに掲載)
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