赤い屍体黒い屍体

 シベリア鎮魂歌香月泰男の世界

            立花 隆 著      文藝春秋    390ページ

満州で終戦を迎え、シベリヤ送りになりながら、何とか一命を取り留めて帰国。 このシベリア抑留体験を描いた「シベリア・シリーズ」で知られる画家・香月(かづき)泰男の聞き書きを、立花隆がゴーストライターとしてまとめた「私のシベリア」(1970)の再録に、立花自身のシベリア調査報告を加えた書物。 

 実は、去年10月に、金沢の石川県立美術館で開かれた「香月泰男展」を観に行き、立花の講演を聞いた直後に読んだ本です。 この本について、ぜひとも一人でも多くの人に知ってもらいたいと思い、感想を書こう書こうと思いながら、1年が経ってしまいました。 私が一番印象に残った、原爆について、いや、戦争について考え直しを迫られた部分だけを抜き書きしたいと思います。 (文中の斜体字ゴシックは私の作為) 

 「奉天を出てしばらくいった所で、線路のわきに屍体が転がっているのを見た。 満人たちの私刑を受けた日本人にちがいない。 衣服を剥ぎとられた上、皮を剥がれていたらしい。・・ 全体が乾燥してちぢみあがったような感じで、赤茶色をしていた。・・ 生皮を剥がれたのか、殺されてから剥がれたのか。 ・・

 日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。・・ 戦後二十年間、(*これは1970年出版) 黒い屍体 は語りつがれ、語りつくされてきた。 ヒロシマはアウシュヴィッツとならぶ大戦の二つの象徴となった。 それは戦争一般が持つ残虐性の象徴としての無辜(むこ)の民の死だった。

 黒い屍体によって、日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。 みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。 まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだ、と私は思った。

 赤い屍体は、加害者の死としての1945年だった。・・ 彼自身戦争の被害者だったといえるような男かもしれない。 しかし、それでもやはり私の眼には、それは加害者のあがなわされた死として映った。

・・赤い屍体になるべきなのは、もっと別の奴らだ。 どこかで未だにぬくぬくしている奴らだ。・・

・・ 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。 戦争の悲劇は、無辜の被害者の受難によりも、加害者にならなければならなかった者により大きいものがある。・・ もし私があの屍体をかかえて、日本人の一人一人にそれを突きつけて歩くことができたなら、そして、一人としてそれに無関係ではないのだということを問いつめていくことができたなら、もう戦争なんて馬鹿げたことの起こりようもあるまいと思う。」

 この本を読んでからというもの、この1年間、この「赤い屍体」という言葉が、頭から離れません。 最近、イラク戦争や、自民党結党50周年に伴って公表された憲法改正案などについて読むたびに思い出されます。



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