“「和魂洋才」型教養を超えて”---インターネット時代の大学教育
*月刊誌「論座」(朝日新聞)1月号より
「ビジネスの世界で国際社会を生きてきましたが、それは国益と国益、文化と文化がぶつかるせめぎあいの谷間に立つということでした。要するに我慢と忍耐比べといいますか、ぎりぎりの忍耐の中で自分自身を調節していくわけです。・・日本の状況を見ますと、自分の波長と合わないものに出くわしたらすぐむかつくし、むかつきが臨界点にくるとキレる。許容力がむしろ低くなっている。国際社会に生きるのは許容力を高めていくことであり、イコール教養なんじゃないかと私は思います。・・国際社会ではコスモポリタン(世界人)、アイデンティティー(自己の独自性)のはっきりしない人間は評価されません。流暢な英語をしゃべり、アメリカ人とまったく価値観を共有する日本のビジネスマンが期待されているかというと、そうじゃない。やはり日本人としてのある種の自尊の意識をもって、自分の国を語りうる人間が、同じテーブルにいた時に敬愛され、仕事も前に進むというのが私の実感です。・・大事なのはコンテンツ(内容)だと申し上げておきたい」
これは5人の識者による座談会の中で、三井物産戦略研究所長の寺島実郎氏が述べている一部です。 文部科学省が小学3−4年生から英語を必須にしようとしていますが、買い物や道案内程度の会話がいくらできるようになっても真の国際化とはいえません。 まずなによりも国語力をつけて自分の意見を論理的に表現できる力がないと通用しないのです。 幼い時からの読書が第一です。 そして日本についての文化や歴史の知識がない人は外国に行ったときに信用されません。 英語はあくまでも道具にしか過ぎません。 英語屋になってはだめなのです。
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