中年夫婦のアメリカ・ホームステイ
(12) なんでもリサイクル
 大学のそばに「大学ブックセンター」というのがあって、教科書や指定図書はみんなそこで購入する。 一番驚いたのは、前学期と同じコースであれば、古本も同時に販売していることだった。 もう二度と読み返すことはないと思った学生が売りに来るという。 マーカーでしるしをしたり、書き込みがあったりして、かえって参考になる。 第一当然値段も安い。 こちらの大学は、中心的な”教科書”のほかに、読んでおくべき”参考図書”がかなり多いので本代がかさむ。 この古本制度は実に助かる。 
 ダウン・タウンの倉庫には、それこそ何でも売っている。 男物も女物もパンツ、ブラジャー、ランジェリー、パジャマなどがずらーとハンガーに吊って並んでいる。 ズボン、スカート、靴下、靴、カーペット、椅子、机・・古いものは何でもござれ。 グラス一個、ビー玉、焦げ付いたフライパン・・日常生活の必需品なら何でもそろう。 私なら机などは買っても、パンツのお古など絶対に買わないだろう。 港の近くの倉庫街の一角で、この付近でいえば、アピタほどの広さの倉庫に、こういったガラクタ類がごまんと売っている。 当然、安―い。 他人のものでも、洗濯をすればきれいということなのだろう。 
 土、日になると、住宅地のそこここで、”ガレージ・セール”が見かけられる。 不要になった品物を自宅のガレージや庭先に並べて売るのだ。 レコード、本、ランプ、ろうそく台、食器類、おもちゃ類、サッカーボール・・ここも何でもありだ。 今の日本でいうフリーマーケットを各個人が自宅でしていると思えばいい。 もちろん値段も交渉しだい。
 アメリカ人は30年以上前から、こんなことを日常的にしている。 物を大切に使う、資源を無駄にしない、ごみを出さないという姿勢につながるのだ。 古くなれば何でも捨て去って、新しいものを次々に買い込み、全てお金で解決しようとする日本人と対照的だ。 現在世界的になってきた”アース・デイ”(地球の日)運動を起こすだけの下地はちゃんとあったのだ。
 私の母親が布団屋をしていたので、当時の最高級の綿の入った布団がたくさんある。 しかし、今は羽毛布団ばかり使っている。 これら綿布団は使うこともなくなったので、蔵の二階に積んであり、後はごみ焼却場に持参してお金を払って処分してもらうしかない。 「もったいない」という意識と「母親の手作り」という思いで、まだ決断がつきかねて、場所ふさぎとなっている。 アフリカやアフガニスタンに寄付したいと思うのだか、送るにも送料の方が高くついてしまうという。 思い出はともかくとして、つくづく「資源の浪費だなあ」と思う。 アメリカのようなところがあればなあと、絶えずシアトルの倉庫売り場を思い出している。

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