中年夫婦のアメリカ・ホームステイ
(13) ホテルの経営を任される ?

「正義の学費を全額出してあげるから、卒業できるまでここにいてくれないか」

 冬学期も終わりに近づき、そろそろアメリカの東部を回ってヨーロッパ旅行に出かけないといけないと話していると、クロース夫妻が思いがけないことを言い出した。

 旅行に際し、英会話ができればいいと考えて、最初の数ヶ月間だけアメリカにいて勉強しようと思っていただけ。 それが、この大学の素晴しい勉学環境に魅せられ、しかもほとんど生活費のかからない環境に恵まれたうえ、成績もかなりよかったのでうれしくなって、ついつい勉強を続けていたのだ。  

 妻は決められたこと以上によく働いた。 私たちは、クロース氏夫婦と積極的に話をしようと懸命に頑張っていたのですっかり気に入られ、「もう一年いてくれ」ということになった。

 「私たちは本来ヨーロッパ旅行をしたい。 また、大学の学費がアメリカ人の3倍なので、もうこれ以上旅行費用をそれにまわすわけにはいかない」と渋った。 すると、すぐさま

 「月200ドルの小遣いを500ドルにしたら足りるか」 と言われた。

これには驚いた。 本気の提案だ。 

「その計算もありますが、富山の両親がかなり高齢なのでその状態も考慮したい」と言った。 

 部屋に戻って計算してみると、毎月400ドルあれば、授業料も本代もまかなえる。 また、最近は、ミセスも我々を気に入って、食料品以外の日用品の費用もいちいち分けて計算しなくなっていたので、生活費が実質ただだった。 ということで、学費を差し引いても少しは小遣いも出ることが分かった。

400ドルでいいです」と答えると、それで話は決まった。

この翌日から、裏庭に直結した半地下室の改装工事が始まった。 地下室といっても、20畳ほどの広さで、立派な暖炉があり、グランドピアノやビリヤード台が置かれている、いわゆる娯楽室。 カーペットを敷き変え、窓のある奥の方の半分を仕切って寝室に造り替え、ビリヤード台も運び出し、変わりに丸いテーブルが置かれた。 完成してからは、これまでの狭い”メード部屋”からこちらに移った。 クロース夫婦の配慮に感謝いっぱいだった。

後日、お酒を飲んだとき、ミセスから「私が500ドルあげると言ったんだからそれでよかったのに、正義がわざわざ400ドルと言うからそうなった。 でもそこが正義の律儀ないい点だ」とほめられた? 

余談になるが、留学生が、雑務提供の見返りにただで住まわせてもらっているのに、さらにお金をもらうというのは本来は違法なことらしい。 

「わかりっこないんだから心配することはない。 ところで、ワシントン大学で政治学を勉強してもいい就職口があるわけないよ。 ワシントン大学を出ながら、タクシーの運転手したり、ウエイターしたりしているもんが一杯いる。 それより、ビジネス・スクールに行って、ホテル経営学を勉強して、私たちのホテルを継いでくれないか。 なんなら日本のお父さん、お母さんも呼び寄せたらいい」

1年延長の話が、とんでもない方向に向かった。 

ミスターは、地元の私立大学シアトル大学を卒業しているが、できるだけ人を雇わず、なんでも自分でしてしまう。 中古の家を丸ごと買い付けて、アパートに改装して貸し付け、家具類は自分の経営する家具店で販売していた。 私たちが、初めて新聞広告で見つけたアパート(連載8参照)もこうして手に入れたものだったのだ。 自宅の便器が詰まってどうしようもなくなった時も、中古の便器を探してきて配管も一人で仕上げてしまった。 ミセスは、南部の貧しい家庭の出で中学しか出ておらず、とにかく働いて働いて今日の財を成した人。 学歴などなんの役に立つかという主義。 彼らは、安ホテルとはいえ、ダウンタウンに”サボイホテル” (連載9参照) のほかに500メートルほど離れたところにも7階建ての長期滞在型の”カルフーンホテル”も所有していた。 クロース夫婦には、生後3日で養子にもらってきた娘のがいるだけ。 30歳前で一応美人だが、頭が悪く勉強嫌い。 このホテルの経営をしていく才覚がないことは、我々の眼にも明らかだった。 

 「いやあ、私たちの両親がアメリカに来て生活するなんて考えられません。 また、僕もアメリカに永住したいとも思わないし、ホテルの経営学にも興味が湧きません」と即座に断った。 今から考えると、セレブへの足がかりを自ら切って捨ててしまった。

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