中年夫婦のアメリカ・ホームステイ

(14) 本気で勉強開始

 去年の秋学期と今年の冬学期は、ただ漫然と政治学科の興味のわきそうな科目を選択して授業を受けていただけだったが、いざ卒業するとなると話は別。 政治学科の卒業に必要な単位数や、科目をちゃんと履修しなければいけない。 万一に備えて用意していた日本の大学の英文の成績証明書を事務局に提出し、互換の効きそうな科目を認めてもらうことにした。

 私は、会話が苦手だったので、学部の事務局や留学生支援室に行って相談するということを全くしなかった。 大学が学生向けに無料で発行している500ページもあるコース・カタログを読んで卒業に必要な科目を選択していくことにした。 同志社大学では英文科だったので、政治学科の必修や専門科目は全く認められないのは当然としても、一般教養科目は互換を認めてもらえると思っていた。 ところが、同志社で履修した科学分野の科目が「こちらの科学分野とは認められない」と3教科とも撥ねられてしまった。 仕方なく、天文学概論、海洋学概論、地理学を順次とっていくことになった。

 超新星、星雲、ビッグバン理論、クエーサー(恒星状天体)、海水の化学構成、海水と大気の関係、プレート・テクトニックス理論、地球の植生、文化の地域性 ・・・

日本の英語教育では、「これは本です」という幼児並みの英語から始まって、6年後には世界的な一流週刊誌に載っている英文を読みこなす大学入試レベルまで急速なレベルアップが要求されているが、こういった中学、高校の理科や社会で習うような基本的な用語は、英語ではまずお目にかかったことがない。 このため授業を聞いていてもかなり苦労したが、おかげで、そういった関係の基礎用語に慣れることができて語彙が増えた。 試験は、全て四択問題。 同志社大学時代、アメリカ人教授のアメリカ文学史の試験が、200問近い四択問題だったので、要領は同じと踏んだ。 細かな内容に関する問題が200題以上出されるので、重要と思われるものをひたすら覚えていった。 時間との勝負だったが、一夜漬けが効いた。

  問題はやはり専門科目。 いつもの授業時間内に「・・について論ぜよ」という問題を出される科目は一番苦手。 学生たちは、間隔の荒い罫線が引いてあるB5 ほどの薄いレポート用紙(約15ページ)を買って持参し、それに自由に書き込んでいく。

 友達もなく、誰にも相談をしない私にはそんな知識などなかったので、一番最初の秋学期途中の論文試験のとき、周囲の学生が、みんなこのレポート用紙を取り出して書き始めるのを見てパニックに陥った。 解答用紙も与えられると思っていたから、あわててノートを引きちぎって書き出した。 字数制限なしだから、横のアメリカ人学生たちはさらさらと鉛筆を走らせていくのがわかる。 こちらは時折辞書を引き引き(教授にはあらかじめ許可をもらっていた)やっとの思いで作文をしていく。 このちぎったノート1枚の表裏に、1ページ半ほど埋めるのがやっと。 後日、返された答案には4点満点中、評価点2.6点(0.7点以下は落第点)の下に「あなたは外国人だからおまけしてやる」という意味のことが書き添えられていた。

この科目は「西欧における政治哲学の伝統」というもので、あとで知ったのだが、普通、政治学科の3年生から大学院1年生がとる科目だった。 政治学概論さえ勉強しておらず、日本語ででさえ、ホッブスやヘーゲルの本など読んだことがない外国人が、いきなりこんな高尚な科目を受講したことが無謀だったといえる。 でもこの時は初めての正規の学期で、「卒業」のことなど全く考えておらず、カタログを見て面白そうな科目を選んだだけだったので、「おまけ」と言われてもやむをえないと思った。 次の試験の時(1学期に3回あった)からは、前の晩、概要を整理し、ポイントと思われる点を作文し、文字通り一睡もせずに暗記した(40歳前になって徹夜で勉強するなど思いもよらなかった)。 レポート用紙も用意し、覚えた英文を問題文にあうように論理的 (自分の思いで) につなぎ合わせていったが、それでもまるで箇条書きのように3−4ページ書くのが精一杯。 でも、今回は3.8点ももらった。 気をよくして、次の学期でも、このコースのパート2も受講し、この要領で毎回好成績をもらった。

 これに比べ、専門科目でもレポート提出科目は比較的楽だった。 図書館でいくらでも調べられるし、論理構成はもちろん、英文も何度も書き直しできる。 時間をかけて努力さえすればすむ。 私は10年以上の社会経験をつんでいるだけに、やはり学生とは少し視点が違うのか、ほとんどのレポート科目でかなり高い評点をもらった。


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