中年夫婦のアメリカ・ホームステイ

(17)      2万5千円で運転免許

「安念さん、車を買いませんか」

在米1年4ヶ月経ったある日。 大学で知り合った日本人の女性から電話がかかってきた。 同じ政治学科の学生で、学生食堂で知りあり、時々彼女の下宿先でマージャンをしたり、家に招いたりしていた人だった。 彼女のご主人が、今や有名人の「行列のできる」丸山弁護士。 当時はワシントン大学の法科大学院を卒業し、カリフォルニアの弁護士事務所で実地研修をしていた。

 彼女の話では、知り合いの日本人が帰国することになり、フォルクスワーゲンのラビットを2,000jで買わないかという。 クロース夫妻に気に入られ、半地下室ながら暖炉つきの改装した寝室も与えられ、私も大学卒業を目指して本格的に勉強していた時期で、車がないと何かと不便を感じていた時だった。 当初、6―700jの中古車を考えていたので、かなりの予算オーバーだったが、ブレーキもオイルの交換したばかりというし、車のディーラーの経験もあるミスター・クロースも「いい買い物だ」といってくれたので、購入することに決めた。 銀行から、3,000jを引きおろし、163jの税金、保険料322jを払って登録を済ませた。 二人の人生で初めて車を所有した。 小さな真っ赤な車。 以来、日本に帰ってきてから購入する車は、何度か買い換えたが全て真っ赤。 「雪国では、冬場には真っ赤の方が事故防止になる」と屁理屈をつけて65歳を過ぎた今も赤い車に乗っている。

 車を買ったが、二人とも免許を持っていない。 私は国際免許に書き換えてきたが、有効期間は6ヶ月しかなかったのでとっくに期限切れ。 するとミセス・クロースが「少し早いけど、今年のクリスマスプレゼントとして、慧子にインストラクター(運転指導員)を雇ってあげるわ」と言ってくださった。 ワシントン州では、18歳以上なら、免許を取って3年以上経った人が助手席に乗っていれば、どこで練習してもいいのだそうだ。 (18歳未満ならスクールに行かなければならない)  クロース夫妻は忙しくて教えられないから、インストラクターを頼んでくれるというのだ。 1時間当たり、スクールまで出向いていけば 8ドル、インストラクターが家まで来て (ピック・アップ)くれれば 14ドル、日本人のインストラクターを希望すれば 18ドルということなので、ピック・アップを希望。 妻は、まず免許センターに行って、練習許可書と法令集をもらい、10ページほどの法規の勉強を始めた。 第九話の最後に登場願った日本人男性佐藤さんに話をすると、「僕が少し教えてあげるよ」ということになった。 彼は、どうしても英語を話せるようになりたいと願って、福井に妻子を残してこちらに来たという。 日本では、大型免許だけでなく特殊車両の免許も持っているそうだ。 ここブロードモアは、外部の人が入れないので、練習にはもってこいの地。 妻は日本でも全く運転を習ったことがないので、最初はガチガチ。 敷地内をぐるぐる数回回っただけで、足がつりそうになったという。 でもこのおかげで、数日後、インストラクターの車で、最初の日から市街地に出ての練習にもあわてることがなかった。 

 その数日後、免許センターへ行って、法令テストを受けた。 テレビ画面に、絵と質問の英文が表示され、5題の答えのなかから正解のものの番号を入力していくという形。 1題ずつ正解、不正解が表示され、間違えるとびくびくもの。 25問中20問正解でかろうじて合格。 受験料3ドルを支払った。

 このあと、インストラクターに4回、佐藤さんやリックに数回ずつ練習してもらい、ついに実地試験に臨んだ。 インストラクターの車で免許センターへ。 制服の警官が来て、まず車の点検の指示。 車に乗ると緊急停車ランプの操作を確認して、すぐにそのまま市街地に出て行く。 何度回ったか数え切れないくらい、右折、左折を指示し、途中に数回の車線変更の要求。 住宅街にはいってたくさんの車が駐車しているところに来ると、「パラレル・パーキング」といって駐車中の2台の車の間にバックして駐車するように指示される。 30分の試験が終わってセンターについた時は、足はがくがく。 でも警官が「You did a good job. (よくできだったよ)」と言って採点表を渡してくれたので「やった」と思った。 ところが、機械に弱い、左折の際歩道をかすった、右折が遅すぎた、「パラレル・パーキング」のとき、歩道の敷石から離れすぎた(30センチ以内でないと罰金。 アメリカでは、これとスピード違反に対してとても厳しい) など、合計12点の減点。 でも合格は合格。 写真を撮ってもらい7ドルを支払って免許証を手にした。 

 帰宅して報告すると、ミセス・クロースは大喜びで、インストラクター代金129ドル(当時のレートで23,000円)の小切手を切ってくださった。 この後しばらく、妻の運転で遠出する日が続いたが、私も妻に同乗してもらってブロードモアの中で練習して、1ヵ月後、直接試験を受けに行って一回で合格。 10ドル(当時のレートで1,800円)だけで免許が取れた。 

 後日談を二つ。 「先生」役の佐藤さんは、国際免許の期間切れとなって、試験を受けたが、法令テストで1回、実地試験でも自信過剰からかスピードを出しすぎて1回不合格となった。 
もう一つは、この8ヵ月後に帰国した際の話。2人で、日本の免許に書き換えに行ったところ、私は問題なかったが、妻はアメリカの免許だけだったため、1時間近く、懇々と説教された。 当時,かなりの日本人が、「簡単に安く免許が取得できる」ということで、観光ビザでフィリピンやアメリカに行って免許を取り、すぐに帰国して日本の免許に切り替えるケースが多発していて、問題になっていたらしい。 「あなたは長期滞在者だったから、正式のものとは認めるけれども、あなたはオートマ車の運転しかしていない。 日本ではオートマ車はまだ普及しておらず問題が多い」といやみを言われた。 今にして思うと、隔世の感がある。


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