中年夫婦のアメリカ・ホームステイ
(2) 行方不明の旅行かばん
シアトル空港、5月15日。
飛行機から降り、旅行かばんを受け取る段になって血の気が引いた。
いくら待っても旅行かばんがベルトコンベアから出てこないのだ。いくら英文科卒業とはいえ、大学を卒業してから15年以上も経ち、英会話なども習ったことがなかったので、空港職員の言うこともほとんど分からなかった。 が、こちらとしても大旅行 ? がかかっているだけに、身振り手振りを交えて必死に訴えた。
「調べてホテルに連絡する」というのだが、私の気まぐれ旅行は、ホテルなど何の予約もなし。 もちろん、友人、知人もなし。
「何とかなるさ」主義が出鼻をくじかれた。飛行機代を安く上げるため、安い便でロサンゼルスまで飛び、そこから国内線に乗り換えてシアトルまで来たのがいけなかったようだ。 ロスでの乗り換えの際、空港職員がかばんの積み換えを忘れたとしか考えられなかった。 ロスからの飛行機は国内線だったので、ほとんどがアメリカ人。 横の人に話しかけることも出来ず、シアトルについての情報収集も出来ていなかった。
シアトルは大好きな故郷神戸の姉妹都市。 神戸のような雰囲気が味わえるのではないかと思ったから、シアトルを選んだに過ぎなかった。 シアトルは、貿易と、航空機のボーイング本社と、州立大学の町という知識しかなかった。
旅行を始めるには、英語が話せた方が何かと便利だとは思っていたので、まずアメリカで2,3ヶ月英語学校にでも通おうとは決めていた。
そこで、州立の「ワシントン大学」に一番近いホテルに泊まることにして電話した。 とはいえ、電話のかけ方も分からず、右往左往。 またも身振り会話で教えてもらってTel。 何を言っているのかよくは分からなかったが、空港からダウンタウンまでのバスに乗り、着いたところで待っていればホテルの送迎バスが迎えに行くということらしかった。 大きな旅行かばんを持った人の後につけていけば何とかなるだろうと、手荷物姿でみんなに従った。ホテルに着くとすぐに、ホテル名と部屋番号を空港に連絡したが「まだ見つからない」という。 でも荷物の心配より、時差の関係でとにかく眠たくてたまらず、2人ともすぐに寝入ってしまった。
ノックの音で目を覚ましたのは、翌日の午後2時すぎ。 2個の旅行かばんをボーイが運び入れた。 「助かった」と思い、大慌てでそのボーイにチップを渡した。 英会話が出来れば、空港責任者に電話して抗議するところだが、そんなことは到底不可能。 かばんが出てきたことだけでもありがたいと ”泣き寝入り” することになった。 まだ眠かったが、貧乏旅行だから、こんな高級なホテルに泊まり続けるわけにいかなかったので、すぐに行動を開始した。
旅行かばんの行方不明事故は、この後の何回かのアメリカ旅行で2回も経験した。 一度は、なぜだかシンガポールまで旅をして3日後に届いたこともあった。 何事も、 日本のような正確さを要求するのは無理のようだ。
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