中年夫婦のアメリカ・ホームステイ

(4) ホームステイ初体験

 タローン教授は実に親切だった。 ホテルに泊まっているというと、大学のホームステイ斡旋窓口に連れて行ってくれた。 普通は20歳代の学生1人なのに、我々は30代後半のしかも夫婦。 それでも職員が「とにかく当たってみましょう」と言ってくれた。 このあともいろいろ経験したが、最初から「出来ない」といって拒むのは、自分の能力を否定していることにつながるとでも考えている様子で、とにかくいろいろ調べてくれる人が多いような気がした。

 2日後、ホテルに迎えに来てくれたのは、長身で白髪でごま塩ひげの老人だった。 港からフェリーで30分ほどのところに浮かぶべインブリッジ島に連れて行かれた。 埠頭から歩いて数分のところにあるアパートに娘さんと2人で住んでいた。 戦後、在日アメリカ大使館で10数年勤務していたことがあるので懐かしいと言う。 奥さんとは離婚し、息子たちはどこかの大学生だという。 
 車で15分ほどのところの崖の上に土地があり、家を新築するために、晴れた日は午前と午後2時間の整地作業を日課にしている。 我々が寝ていようがお構いなし。 「自由に朝食を食べなさい」と出かけてしまう。 毎晩のように遅く帰ってくる娘さんも、朝6時過ぎには起きて、シアトルの職場に行ってしまう。 あとで知ったのだが、彼女のベッドを私たちに提供して、彼女はソファーで寝ていたのだ。 ある晩「息子だ」といって紹介されたのが黒人青年だった。 怪訝な顔をしていると「養子だ」という。 

これもあとで知ったことだが、生活に余裕のある白人の中には、自分たちに子供がいても、黒人やアジア系の子供を養子として受け入れている人が結構いた。 彼らにとっては「養子」というのは、一種のボランティア活動のようなものらしい。

 10日後、大学が次に見つけてくれたのがシアトル市内の真ん中にある大きなワシントン湖の真ん中に浮かぶマーサーアイランド島の一番端にある住宅街の中の一軒家。 バーンズという70歳ほどのおばあさんと同居で、1ヶ月いてくれていいとの条件。 息子一家は、そこから車で3分ほどのところに住んでいるのだが、アメリカでは、親子夫婦の同居ということはまずないらしかった。 但し、ばあさんは1年前に骨折をしてから療養所に入っているので、買い物と食事の準備をしてくれという。 やはり裏があったのだ。 お隣のうちに挨拶に行くと、日系二世のご夫婦だった。 「7月に娘さん夫婦がドイツから帰ってくるので、せめてそれまででも療養所の入所費用を浮かせたいと思っているのではないか。 私立の療養所なので費用が月700ドルかかるが、息子の月収は1500ドルほど」との話。 

  同居を始めて3日目の朝。 ドーンという音が聞こえたのでおばあさんの部屋に飛んで行くと、ベッドの側で仰向けになってもがいていた。 ベッドから落ちて一人で起き上がれないのだ。 こんなことが続いて、万一のことでも起きたら責任を取れないので、早急に出てゆくことを計画。 大学の当局に、「これでは老人の介護役だ。 ホストファミリーとは言えない」と訴えると、大学は指定を取り消すということになった。


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