中年夫婦のアメリカ・ホームステイ
(6) 夏休みのない大学
毎朝8時過ぎに家を出る。 バス停まで歩いて10分、そこから大学まで30分。 英語研修授業はそんなに難しくもなかった。 夏休みは、秋の新学期から入学の決まっている外国人向けの英語特訓授業だけかと思ったら、何のことはない、普通どおりの授業が行われていた。 だから早く卒業をしたいと思えば、夏休みの授業も受ければいいという仕組み。 夏休みをとる教授の代わりには、公募で他大学の教授を雇ってくるという。
大学の授業コース案内の本を読んでいると「マスコミにおける名誉毀損問題」というようなコースがあるのに気づいた。 やがて日本でも大きなテーマになるだろうと思い、ええカッコをして、
「自分は正規の留学生ではないが、新聞記者を10年間していたので、ぜひとも先生の授業を聴講させてほしい」と教授に直談判に行った。 するとあっさりOK。 ここでも教授の判断一つ。 もちろん、もぐりの学生だから、授業料も払わない。
すべからく後知恵なのだが、これは3,4年生と大学院生向けの講座だった。 日常会話やTV番組さえろくに聞き取りも出来ないものが、いきなりこんな授業を聴講したのだから大変。 日本の大学ではマスコミ論はもちろん、法律など一切勉強していないので、日本語でさえ専門用語を知らないのに、それがいきなり名誉毀損と判例ときたからたまったものではない。 A4判、1000ページの教科書には、裁判例がいくつも書いてあるが、これもあくまでも授業の参考程度のもの。 必死に勉強していっても、直接関係ない講義がほとんど。 初めのころ理解できたのは1-2割で、そのうちノートの取れたものはほんの走り書き程度。 毎週金曜日にはA4 2ページの宿題が出された。 もぐりの私が提出すべきかどうか尋ねると、「いいよ」と、あっさりOK。
“山小屋”の庭を流れる清流のそばに、リックが手作りしたと思われる粗末な木製の机が置いてあった。 天気のいい土・日は、パンツ姿でこの机に座ってこの宿題に取り組んだ。 答案は金曜日に返され、クラスの最高、最低、平均点が公表された。 平均点などとれなかったが、驚いたことに、一度も最低点ではなかった。 最終回の宿題に、150点満点のレポートがあり、なんと130点をもらった。 最後の日に教授に挨拶に行くと「言葉のハンディーがあるのによく頑張った。 4年生のジャーナリストのクラスを受けても大丈夫だろう。 自分もこの夏だけの招聘教授で、秋からはテネシー大学に帰る」と話してくれた。 今にして思えば、なぜ夏休みもとらずに働くのか理由を聞いておくべきだった。
いろんな経緯から、秋の新学期も勉強を続けることに決心して、いよいよ本格的にアパートを探しを始めた。
例の学校の掲示板に、「1軒家をシェアー( * 家賃を分担して借りる)したい」という掲示があった。 しかもこれを書いた人はなんと政治学部の教授。 ちょうど政治学を勉強しようと考えていたので、これはチャンスと思い、会う約束をした。 大学のすぐそばの住宅街だし、何より教授と同居というので心が動いた。
早速連絡を取って、その教授と面会。 我々だけかと思っていたら、もう1人学生を入れて、月200ドルだという。 その場に来ていた学生は、いかにもアメリカの若者といった感じで、かなりがさつそうだったし、しかも寝室が狭く、食事の用意の時間を調節するなどという問題もあった。 私たちは即答を避けて帰った。 教授は、我々がおとなしそうな中年の日本人夫婦ということで2度ほど誘いの電話をしてきたが、結局、断った。
大学教授ともあろうものが、家を学生とシェアーするなど実に信じ難いことだった。 彼は、統計学を取り入れた政治分析が研究課題で、とりあえず今学期だけの契約で、評価がよければ継続という。 学生になって知ったことだが、どの授業も学期の最後には、事務局員が、詳細な項目にわたる教授の指導評定アンケートを学生に配って教授の評価をしている。 「講義の声はよく聞き取れたか」「内容を理解できるように説明したか」「課題の提出の仕方は適切だったか」などなど細かな内容を5段階評価させるものだった。 日本の大学教授のように、毎年同じ内容の授業を独りよがりでしていてはすぐさま首になってしまうようだ。 日本の大学では、最近になってやっと一部の私立大学で教授の学生評価を導入するところが現れてきている。 30年も遅い。
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