しゅぎょー

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活舌、アクセント、イントネーション、フレージング…
「言葉」は、役者の勉強の中で、初歩、且、重要なものだろう。(感覚的なものが、いっぱいあるからね)

まず、「標準語」という言葉から。実際には、日本語に「標準」になる言葉はなく(東京の言葉なんか、方言だらけだからね)、「標準語」と言われているものは、「共通語」というのが正しい。ま、それがわかったからって、なんてことはないけど…(だったら言うなって?)

欧米諸国では、国立劇団の俳優が話す言葉が正しい言葉だと言われているそうだ。
日本では、よく、「NHKのアナウンサーが話す言葉が正しい」と言うけれど、そうでもないことが多く、(他局とは比較にならない)ニュースを聞いていて、「あれ、今の変じゃない?」と一度ひっかかってしまうと、ニュースの内容がよく解らなくなってしまう。

この、「ひっかかてしまうと〜解らない」というのが曲者なのだ。

芝居の中で話されている言葉は、全て重要であり、お客様に伝えなければならないもの。(不要な言葉だったら、作者が削ってますって)お客様に、何を、どう伝えるか、いや、感じてもらうかが芝居なのに、アクセントごときで「ひっかかって」しまって伝わらないなんて、絶対にしてはいけないし、悲しい。(わざわざアクセントやイントネーションをかえて、「演出」と思っている集団を考えると、同じ芝居をする者としては、悲しくなる。そんなことで、お客様から「逃げ」ないで…)
何のために、芝居をしているのかさえわからなくなってしまう。そう、思いませんか。

だから、どの俳優養成所でも最初に学ぶのだ。

住んでいれば、その土地の言葉が染み込む。それ自体、何も悪いことではなく、むしろ良いこと、大切なことだと思う。「みるい」「〜ばった」だって、ほかの言葉では簡単に表現できないニュアンスがある。それらを消すんじゃなく、引き出しにしまって(いつか必ず役に立つから)。役者なら…


「毎日を大切に生きる」 これが、芝居をする人の最も重要な修行じゃないか