しゅぎょー
間・真・魔
最近の芝居、いや、芝居だけではなく音楽、生活、世間…あらゆるものがスピードアップし、テンポなどが重要視されるようになった。
人の話を聞いているのかいないのか、という調子で次々と言葉が交わされてゆく。ちょっと考えると、自信がないからじゃないかなとも思えてくる。
さて、芝居の上ではどうか。 ――――――同じである。
人に聞かせたい言葉を言うときは、 1.その言葉の前に間を開ける。 2.その言葉のトーンを変える。 3.強さを変える。その他… ということをスピーチの講義でよく耳にする。芝居でも使える方法だけれど、1の“間”というものが曲者なのだ。ただ時間を開ければ良いかというとそうでもない(実際はそれでも良いことが多いけれど)。役と何も関係ないことを考えていたり、次の台詞のことを考えていたりしていては、せっかくの“間”という効果も表れない。いや、むしろ逆効果になってお客様の意識を削いでしまう。役としての意識が繋がっている“間”、つまり“生きた間”であることが必要なのだ。
これは、しゃべっている者だけに限った話ではない。
芝居では、誰かがしゃべり誰かが聞いている。(まあ、1人芝居でも同じだけど) しゃべっている方は、それに専念してしまうことが多いのであまり問題にはならないが、聞いている方はそうはいかない。もし、次の演技(話、動作、その他)をするまでやることないなぁなどと考えたりしている者が一人でも舞台上にいると、そこにゆがんだ空間が発生し芝居自体が台無しになってしまう。役者は舞台上にいる限り、役であり、役の感情であり続ける必要があるはずだ。
間は真に役でありつづけることが必要で、一歩間違えると芝居をも粉砕してしまう魔のものである。
普段の自分の、あるいは他人をもう一度見てみて欲しい。その人は、ずっと、その人だったでしょ。
「毎日を大切に生きる」 これが、芝居をする人の最も重要な修行じゃないか