畜生。 「ちくしょうちくしょうちくしょう」 言葉が他に出てこない。頭の中がいっぱいいっぱいで、バカになってる。 ああもう、だって重い。上から降ってくる雫が重い。思考も何もかも乱して、考えるのを邪魔しに落ちてくる。着ているものが水を吸って重い。 手に持っているものが重い。ああもう、なんでこんなもの持ってきたんだ。今更捨てていけない。 「訳わかんねえ。あーもう訳わかんねーよ俺なんでこんなことになってるんだよ」 ああもう、頭の中で考えてるのか声に出してしゃべってるのかわかんなくなってきた。 独り言は寂しさのあらわれなんだって。ああバカくせえ。 俺が寂しいのなんていつものことで、俺でも誰でも同じいつものことで、捨てられた子どもたちはいつでも寂しいけどそんなこと考えてたら生きていけないから捨てていくだけなのに。前向きな奴はそういうのを、憎しみとか怒りとか害意に変えるとかして外に敵意を向けることに変換して、そういう気概も気力もない奴は、放棄するとかあきらめるとかで摩り替えてうずくまるなりしてやっている。死ぬのを待ってる。 だけど相変わらず俺は独り言が多くて、だけど独り言になってなかったのは、隣りで応える奴がいたからで。それは、どれだけの運を使い果たした結果なのか、世界も俺も見捨てた神様とやらが、気まぐれに与えてくれたものなのか。 なんかもう、どうでも。どうでも。 なんでもどうでもいいのに、足は止まらない。なんで歩いてるんだ。 とにかく約束が俺を縛っている。 「チクショウ」 重い。 水が重い。体が重い。髪から滴って水が下に落ちる。上から上からのしかかるように降る雨が重い。俺にも地面にも叩きつけてくる。前髪が顔に張り付いて、目にかかる。後ろに撫で付ける力もない。 手に持った大きな剣が重い。手についた血が重い。 空が暗い。意識が暗い。目の前が暗い。雨の色が暗い。 「ちくしょうだましやがってチクショウ」 いっつも。 気がついたら俺が貧乏くじを引いてる気がする。頭で屁理屈をこねるくせがあるから、ごちゃごちゃ考えて周到に行動した挙句、考えた末の行動のはずなのに失敗するんだ。 垂れ込める暗雲。 絶望ってなんだ。 世界はいつも暗い。雲が立ち込めて暗い。雨がやんでも暗い。昼でも夜でも暗い。ぼんやりと雲の向こうに太陽が昇りなんとなく明るくなるだけ。月の光は分厚い雲に抵抗できない。 暗雲。絶望だとか、世の終わりだとか、世界の行く先を示すようだと、どっかの宗教者が歌う。 笑わせんな。 なんだかよく知らないけど、栄えてた世界は馬鹿な人間にぶち壊されて、世界はその時に滅んだんだって言われている。もう壊れてるのに、先行きを暗示するとかどうとか、ほんと意味わかんねえ。こんなのはただの現象で、原因があって結果が出ただけだ。 だいたい、自分も生きてるくせに、滅びたとか言うなよ、馬鹿くせえ。 壊れた世界でも、命ってのは存外しぶとくて、人間はやっぱり相変わらずにのさばっている。強くなる自然の脅威に怯えながらも、でかい顔でしつこく生きている。数少ない人類は、数が少なくなっても争いをやめない。 自己保存本能が強すぎるからだ。自分のことばっかり考えるからだ。 いっつもいっつも、世界がおかしくなっても人間が減っても、国の上の奴らはなんかもうわけわかんない理由で戦争してて、足元がやばいのを見てない。知ってるのかもしれないけど、奴らが認識しているのは数字だけだ。意地になったように奪い合いをしている。 底辺の俺たちは、必死で地面にへばりついてはいつくばって生きていくだけだ。上のやつらに使われて。 世界はどうしようもないのに、やっぱり強い種の保存本能で、人間は子どもを生みとおしていくけど、本当に産み落としていくだけだった。自分が生きていくので精一杯なのに、子どもをこさえてやっぱりどうしようもなくなって、捨てていく。 俺はガキの頃に貧民街に捨てたれたたくさんの子どものうち一人だった。そういう子どもたちは当然一人で生きて行けないから、徒党を組んで人から奪いながらなんとか生きていた。だけど、環境が苛酷なのにひ弱な雛が簡単に成長できるはずがない。たくさん死んでいったし、俺は運が良かった。コンビを組んで、お互いに補い合える相手がいたから。 スラムを出て、俺たちは傭兵になった。最近の戦争は、前時代の遺物である重火器を奥の手に、ほとんどが剣を手に肉弾戦で戦う。先にスイッチを押したほうが勝ちなんて時代があったらしいがそんなのまた昔の話だ。 落ちてくる水の轟音の隙間からバシャバシャと水を蹴る音が聞こえてきて、俺は引きずるようにしていた足を止めた。 振り返れば、口々に何かを言いながら駆けてくる敵兵の姿があった。追いつかれたというか見つかったというか。ああチクショウ。 腰のホルスターは空だ。銃も弾も貴重品ではあるけど、腕力のない俺は剣よりこれの方がうまく使えるから愛用していた。でも置いてきてしまった。迂闊にも程がある。ナイフも携帯してるが、当然殺傷能力は高くない。 かわりに持ってきたのが、この馬鹿デカイ剣。何をどうやったら間違えるんだ。間違えたんじゃないけど。本当にもう、我ながらどうしようもない。 逃げるのはとりあえず中断して、俺は足を止めた。撒けるとは思わなかったから、迎え撃つ用意をする。呼吸を整えたかったが、逃げてくる間に散々乱れたものは、ちょっと足を止めたところでどうにもならないらしい。相手の得物と間合いをはかる。剣ならなんてことはない。 「死ね!」 水の幕の向こうから怒鳴り声が聞こえた。言葉を返すなんて馬鹿馬鹿しいから無視をする。 息を大きく吸い、鋭く吐き出し、俺はまず自分がその場で回転した。遠心力と腰で、両手で握った剣を振り回す。横薙ぎにはらった刃は、相手の剣と一緒に相手の首もきれいに飛ばしていた。そのまま勢いを殺さずにまたぐるりと回って、続いて駆けてきた相手に剣を叩きつける。 扱いきれない重い剣なんて、最初から操るのを放棄した方がいい。重さと勢いにまかせて、多少の軌道修正だけして、自分が振り回されてやる方がうまく使える。 何度か剣を振り回して――振り回されて、追いついてきた人間を全員地面にひっくりかえらせると、剣を地面に叩きつけるようにして、なんとか止まった。殺しきれない勢いで数歩よろけて、自分も地面につっこんだ。 水と泥まみれになって倒れたまま肩で息をする。うつぶせた頭から雫が地面に落ちる。疲労がのしかかる。吐きそうだ。 いつも通り雇われて戦争に狩り出された俺たちは、国に騙され囮にされた。戦場になるはずだった廃墟の町跡で、敵に包囲され放り出された。来るはずだった援軍は延々と来なかった。多分本隊は違うルートで違う場所を攻撃に行っているんだろう。俺たちを執拗に追いかけてくる敵は、多分雨のせいもあって視界も悪かったしまんまと騙されていて、戦争自体は俺たちを雇った国が勝つのかもしれないが、そんなことはもうどうでも良かった。 銃弾の雨にさらされて、逃げまくったが、ヘマをした。奴は体がでかいから標的になりやすく、それがわかっていたから多分、体力的に劣る俺を守ろうとしてわざと余計に目立つようにしていた。隠れられるように。奴らが俺に気づかないように。 馬鹿くせえ、やめろよ。 剣を振り回していた相棒に悪態をつく。記憶の中の相手に。 そんなことしてるから本当に撃たれるんだよ、馬鹿野郎。 思い出して、思考がふにゃふにゃになりそうだった。力が、浸かったままの水の中に溶け出してそうな気がして、無理やり引きはがす。 剣を引き起こし、突き立て、杖にして立ち上がる。目に映る地面の上に、雨で薄くなった血が広がっている。 「余計疲れさせやがって畜生が」 転がる死体に悪態をつく。剣を引きずるようにして、疲労した体を引きずるようにして、歩き出す。 ――見捨てた。 俺たちの間でかわされてた約束がある。どちらかが誰かに殺されたら仇を討つこと。人との騒動とかじゃなくて戦争で死んだら、死にかけてもう助からないと思ったら、迷わず見捨てて自分だけでも生きる方法を探すこと。 どっちかだけでも助かろうぜ、じゃないと無意味だろ。 そう言い交わしてきたけど、傭兵なんていつ死んでもおかしくない職業だったけど、実際にこんな状況に追い込まれるのは初めてだった。 見捨てた。腹を撃たれてて、血があふれて、どうしようもないと思った。腹だから止血もできなくて、とにかく上着で強く縛ったけど、どうしようもなかった。俺の力じゃ、担いで逃げられない。せめてもと思って、建物の中に隠してきたけど、どうなっただろう。 ああもう、考えるのって誰の役目だっけ。俺だよ。俺のほうだよ。 筋肉馬鹿なあいつはいつも俺の言う通りに力を振り回すだけで、片方がいなくなったら困るのは普通、どう考えたってあいつのはずなのに。 なんで俺は、こんなにどうしようもなく何も考えられないんだろう。雨が叩いてくるからだ。チクショウ、寒い。 体が重い。足が重くて持ち上がらない。 気持ちが重くて、引きずるように進む。 希望ってなんだ。ひとりだけでも、生きて伸びようってどういうことだ。 世界がこんななのに、そんなこと考えるのは意味があるのか。ひとりひとりの生き死になんて、意味があるのか。 疲れ切って、体も冷えてきて、このままだとやばいと判断した俺は、町からの脱出をとりあえず中断することにした。手近なビルの残骸の中へ入る。雨は途端に遮断される。けどやっぱり濡れそぼった体は重くて寒い。 中は積もった埃と湿気で臭かった。どうやら居住区だったらしい。ずらりとドアが並んでいる。包囲されるのを恐れて、部屋の中には入らなかった。 剣を引きずるようにして歩き、エレベーターとやらを見つけ、その隣にある扉を開いた。非常階段だ。鉄の扉を閉めて、重い足を持ち上げて階段をあがり、二階へ進む。コンクリートのひび割れた廊下を進んで、その中の一室に入った。二階なら包囲されるってこともないだろう。 壁の崩れた家の中を歩き、ひしゃげたベッドや棚を乗り越えて、外から見えないように身を屈めて窓際へ進む。靴の下では割れた窓ガラスの破片が小さな音を立てた。窓の近くの方が、外の様子を見られる。多分、傭兵ひとりにでかい砲撃なんてしないだろうし。 剣を立てかけてから、壁紙のはがれたコンクリートの冷たい壁に寄り添うようにして、膝を抱えて腕に顔をうずめて座り込む。冷たい。銃撃の音や喧騒が、時々雨と一緒にガランと開いた窓から入ってくる。 体中から滴る水が、俺の下に水溜りを作っている。 しばらくそうして固まって息を整えていたが、嫌な光景が繰り返し頭の中を回っていた。やばい、へこたれそうだ。余計なことを考えてしまう。疲労がどうしようもなく重くなってきた気がする。歩き続けるべきだったかもしれない。 雨で冷えた体が震えだした。雨のせいか? 頭がガンガンする。色々ごちゃごちゃ考えすぎたせいだ。この俺が考えすぎで頭痛だなんて笑える。 肩が震えた。笑ってるのか何なのか、あーもう訳わかんねえ。喉が引きつった音をたてる。音をたてるとやばいのにな。思った瞬間、遠かったはずの物音が、予想外に近い場所で聞こえるのに気が付いた。 階下で、ひそめた声と、小さな靴音がする。ぼんやりしている間に、建物の中に敵が入り込んでいたようだった。 それから、自分の馬鹿さ加減に遅すぎるくらいにようやく気づく。乾いた建物の中に濡れたまま入れば、歩いた跡がくっきり残るに決まってる。 俺は軋む体を慌てて起こして、剣を持ち上げた。外から援軍が駆けつけてきている可能性を考えて、用心しながら窓から顔を出した。雨のせいで耳が使えないから、目視しないとならない。外から狙撃されないよう、自分を確認されないよう気をつけたはずなのに、顔を出した途端に、下から怒鳴られた。 「飛び降りろ!」 声を聞いた瞬間俺は用心していたのも忘れて、下もろくに確認せずに、窓から飛び出していた。 ものすごい音がした。 俺は雨のせいで足をすべらせて、着地に失敗していた。足元が崩れてひしゃげた。地面じゃない。いつからここにあるのか、前時代の車の上に落っこちていた。屋根が衝撃を吸収してくれたおかげで助かった。きっとジャパニーズ製だ。もうとっくに滅びた、頭でっかちの国。これがドイツ車だったら、繊細な俺のほうがひしゃげてたよ。 それでも、二階から落下すりゃ、体を打ち付けて痛くないわけがない。俺は悪態をつきながら、屋根の上から飛び降りた。衝撃でうめき声がもれる。それを見て奴は、追われているのだというのに、大声で笑った。 「根性のねえ臀部だな!」 「臀部って言うな!」 俺はへっぴり腰で怒鳴り返す。 思いっきりケツから着地したせいで、歩くのがめちゃくちゃ痛い。絶対青あざになってるはずだ、恥ずかしい! 「俺みたいに鍛えないからだろーが!」 「お前みたいな筋肉だるまにはなりたくないんだよ! 俺の顔に似合わねえだろ!」 「確かに似合わねえ!」 雨音の向こうに馬鹿笑いが聞こえる。 雨が前髪をつたって睫毛を湿らせている。見開いた目の中に入ってきて視界を濁す。目がいてえ。よく見えない。立ってるのは、ほんとに見慣れた人間だろうか。そうとしか思えないけど。 「俺のこと置いていくからそういう目にあうんだぞ」 「助からないと思ったんだよ。撃たれただろ!」 「撃たれたけど死んでなかったろ」 「お前みたいなクソ重い奴、担いで逃げられるか! 筋肉は脂肪の四倍重いんだぞこのバカ!」 もし撃たれたのが俺だったら、こいつは俺のことを軽々抱えて逃げられたはずだ。それを考えると圧迫されたように息ができなくなる。……クソ。ダイエットしろ。俺も鍛えるから。 「だったらなんで剣持って行くんだよ」 「とっさだったんからしょうがないだろ」 それは俺も思ったよ。こんなもん持って来るんならお前持ってくるんだったって思ってたよ。あの時はとっさだったから、形見だと思ったんだよ。変な約束させるからだろ! こんなもの、落下した時に間違えて手やら足やらを切り落としてたらどうしてくれんだ。 「こいつじゃ、俺の手にはあわねえよ」 奴は、手に持っていた銃を放り投げた。投げるなよ、と文句を言いながら俺は両手で受け取った。俺の拳銃は、奴のでかい手には片手にすっぽり入っておもちゃみたいだった。俺の手に渡るとやけにゴツく見えるから不思議だ。 なんだか腹が立って、いろいろ考えたのも馬鹿馬鹿しくなって、俺は相手に怒鳴りつけていた。 「だいたい、なんでそこにいるんだよ!」 腹を縛った上着が血だらけなのは見てとれる。雨に濡れて染み出している。 「悪いか! 弾は貫通したみたいだし、撃たれたショックでスコンと意識が飛んだだけだったんだよ、全然たいした怪我じゃねえ」 撃たれたのにたいしたことねえなんてあるか、馬鹿! むしゃくしゃして全然違うことをまた怒鳴りつける。 「意識失うなんてかわいい真似してんな、似合わねえ! ムカツク!」 確かに似合わねえ、と奴はまた馬鹿笑いした。それから、俺の後ろにある車を指差して言う。 「とりあえずその車がまだ動くかやってみろよ。あのへん、俺が引き受けとくから」 撃たれた奴と尻餅をついた俺。どっちが重症かなんて比べるまでもなかったが、奴に配線をいじる頭なんかない。奴に剣を返すと、俺が両手で必死に持ってたそれを、奴は軽々と片手で持ち上げた。けが人だってのに。いつも思わないのに妙な敗北感。 それ以前に、途端に元気になってきた自分にあきれる。手を拭おうと服に押し当てたが、当然びしょぬれの服がそんな役に立てるわけがない。どうしようもないくらいに濡れていたのを忘れていた。 仕方がないから、俺が落っこちた衝撃で割れた窓から手を入れて、ロックをはずしてドアを開ける。中は湿った臭いに満ちていた。だけど俺よりは乾いている。 椅子に手を押し付けて、濡れた手を気持ちなんとかする。腰からナイフを引き抜いて、争いの音を聞きながら作業にかかった。運良く燃料が抜かれてなければなんとかなるだろう。少しは可能性が見えてきた。希望と言うか。 だけど、希望ってなんだ。 上からは雲がのしかかる。見てるだけで重い。下には腐った大地。陽が照らなくて暗いまんまで、実りは全然ない。閉塞感でいっぱいになる。これはもう、どうにもならない。バカなトップたちは戦争ばかり。疲弊した下の人間たちを押しつぶし続けている。圧迫感で息が詰まる。これも多分、どうにもならない。 俺の手のうちで、エンジンが息を吹き返す。まだまだ運は枯れていないらしい。 「おい、逃げるぞ!」 屈んでいた身を起こして、シートにすべり込む。でかい音をたてれば当然、それだけ見つかりやすいし標的になりやすい。それもまあ、運がまだ残ってればなんとかなるだろ。 敵兵を片付けた相棒が、助手席に身を乗り込ませる。くそ、一気に狭くなった。マジでダイエットしろ。 いつ本格的にぶち壊れて止まるかわからない車は、地面に溜まった水を弾き飛ばしながら走り出す。 だいたい、絶望ってなんだ。 誰かが叫ぶように、少なくとも世界が壊れてることじゃない。そんなことじゃ人間たちはくたばれない。略奪行為に出られる程度にはアクティブだ。 俺はあんまりアクティブじゃないけど。なんだってこんなに簡単に気持ちが上下するんだ。雨はやまないし相変わらず体は重いのに。ああ畜生、すげえシャクだ。 絶望ってなんだ。 どうしようもなくひとりになることだ。 希望ってなんだ。 お前がそこにいることだ。 生きていることだ。 雨に打たれてもどうしようもなく体が重くても、苦しくても。何が何でも、生きていく意志があることだ。 だけど、ひとりきりでは多分、持ち続けるのが難しい意識。 だからそれは、ひとりじゃないことだ。 お前がそこにいることだ。 多分、そういうものだろう? シャクだけど。 |