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それは冬だった。 弾む息が白い。熱が白い色となって一層寒さを強調している様は、唇の端から体温が漏れていくようだった。 視界ですら、数々の色彩が白い色に埋もれている。その中で、神宮家の赤い揃えの鎧は、遠くから見ると血の染みを落としたように見えるかもしれない。 国の西南部に位置する神宮家は、比較的温暖で、人が行き来するのを妨げるほどの雪は積もらないが、山間部ともなれば話は別だった。他国との国境になる山を越え、更に強行軍で軍を進める。北東へと進む彼らの行く手には、どんどん深くなる雪が、大きな敵となって立ちふさがっていた。 それでも前へ進む足を緩めるわけに行かないのは、戦場となっている場所がさらにこの国を越えた場所であり、すでに、もう彼らの行軍は無駄になるのではないかと思われるほど、援軍は遅れをとってしまったからだった。 神宮家と国境を隣する石川家の領地、そのさらに向こう側に神宮家と同盟を結ぶ本條の家がある。その向こうには、飛田家が。その飛田の急襲を受け、用意の整わない本條家は窮地にあり、神宮へ援軍を要請してきた。間に挟んだ石川家は飛田にも神宮にも組しようとはしなかったが、どちらかというと飛田家寄りの国で、何度同盟を申し出ても聞き入れられることはなかった。問答無用で、無理矢理行軍することも出来ないことではなかったが、行く先々で戦闘をしたいわけではない。なるべく穏便にすませたかった神宮家は、まずはその国を通る許可を貰うための交渉で立ち往生し、話が済むのに思った以上の時間を要した。それこそ、飛田の息のかかった作戦なのではと思わせるほどに。 ようやく目的の本條家の領内へと続く山間部の道へと足を踏み入れた神宮の軍は、近づく戦場への緊張と、同時に間に合うかもしれないことへの安堵に包まれながら、降り続く雪の中、更に道を行く歩みを速めている。 白い息を噛み締めるようにして、寒さと疲れを堪えていた流紅(りく)は、常に、自分と並んで馬を進める人の方を気にしていた。 「なんとか間に合いそうですね。兄上」 甲冑の音と、人と馬が雪を踏みしめる音だけが聞こえる中、流紅の声は疲労を感じさせない明るさで相手の耳に届く。綺麗な姿勢で馬上にいた紅巴(くれは)は異母弟の方へ顔を向けると、彼も疲れを隠した顔で、微笑んだ。 「そうだね」 微笑む唇からも、白い息が漏れている。その唇が、色を無くして青い。さらに、もともと色の白い肌の色が、あまりよくないことに流紅は気づいていた。 「少し休みますか?」 何度も言いたくて言いたくて、ずっと我慢していた言葉を、流紅はとうとう口にした。 休む間が無いことなど、重々承知だ。兄が決して望まないし、言うことを聞かないだろうことも、分かっていたが、あえて言わないわけにはいかなかった。 「大丈夫だよ」 案の定、返ってきた言葉は、予想通りのものだった。 しかしながら、手綱を握る手が震えている。表情は変わらず穏やかで、そのくせ逆らえない強さがあったが、流紅にはもう限界だった。そんな兄を見ているのが。 「しかし戦場間近だというのに、長の行軍で皆疲れているし、どうせこのまま行ったって存分に戦えない。ここで休んだ方がいいと思います」 うん、と紅巴が相槌を打つ。それから、「でも」と続けて流紅を見て、言葉が止まった。しっかりと相手を見ていた茶色の瞳が閉じられて、いつもは決して顰められることの無い眉が寄せられる。 まさか、と思って流紅は慌てて手を出したが、間に合わなかった。紅巴の体は彼の手を掠めて、反対側へと傾いていた。一瞬、流紅の耳から音が消えて、思考が静止した。 「兄上……!」 自分が声を上げたのにも気がつかず、次に聞こえたのは、雪が物を受け止めた音だった。衝撃の音は雪が吸収して、こもったものになった。降り積もったばかりの白い粉が宙に舞う。 流紅の声に、皆が彼らを見た。紅巴の乗っていた馬が足を止め、流紅が馬を飛び降りたため、彼らを行軍の中ほどにして歩を進めていた神宮の軍は、唐突に歩みを止める。援軍の御大将が落馬、副将が尋常でない声を上げて馬を下りれば、当然誰もが足を止めた。周りにいた家臣たちが駆け寄ってくる。 雪にまみれて身を起こした紅巴を、流紅が慌てて助け起こした。鎧の肩が、息をするために大きく上下している。座るのを支えるためにそばにいると、紅巴が咳き込みながら呼吸をするたびにゼエゼエと音がするのが分かる。 だから、雪道での行軍に兄を連れてくるのは、不安だったのだ。 「兄上、やはり休もう」 駆け寄った兵が差し出す水を受け取り、それを紅巴が飲むのを助けながら言う流紅の口調は、むしろ哀願するようだった。けれどもそんな弟に、紅巴は変わらない静かな目を向けた。 水の入った竹の筒を口元からはずし、何度か息をついてから、紅巴は穏やかな声で言った。 「先に行くんだ」 「行かない」 考えるまでもなく即断で却下した弟に、紅巴は小さく笑う。 「ぼくがこの調子では、無理をして戦場についても、役にはたてないだろうし。そもそもぼくは戦では役立たずだ」 「しかし兄上、次期当主が先頭に立たなくては。ここまで無理をして来た意味がない。神宮領内でもない場所に、兄上を残していくことなどできるわけない」 本当は、ただの援軍として行く戦に、ふたりとも連れだって来る必要は無かった。実際流紅は自分だけで戦に来るつもりだった。兄は体が弱く、戦向きではない。それは二人ともよくわかっていることだった。 だが流紅が陣頭に立てば、神宮の将に余計な誤解を与えることになる。――紅巴はそれで構わないと言うだろうが、流紅には容認できない問題だ。 「少しの兵を残してくれれば、それでいいよ。それに軍を分ければ、もしかしたら飛田の不意をつけるかもしれないだろう?」 紅巴は、「作戦」という形をとって、弟を言い聞かせようとした。流紅が紅巴のことを「次期当主」と言うならば、次期当主としての言葉を口にするしかない、とでも言うように。 そんな相手を、流紅は歯を噛み締めて悔しげに見つめ返した。強情なのはお互い様だといつも思っているが、それでもこの人の強情さには敵わない。いつもいつも、にこにこと穏やかなくせに、強い。そのくせ、人前ではいつも流紅の後ろに下がろうとする。兄のくせに、自分が側室の子だからと言って。 大きくため息をついてから、流紅は近くにいた家臣に兄を預けてから、立ち上がる。顔を上げて、様子を伺っていた臣たちの方へ声を強くして言った。 ――たとえ自軍の兵にであれ、弱さを見せることは許されなのだ。分かっている。 「武藤の兵を残し、軍を二つに分けるよう、大将の命だ。我々は先陣としてこのまま行軍を続ける」 朗々と響きのいい彼の声に、乱れかけた隊に再び緊張感が宿る。突然足が止まったことに、何事かと駆けつけていた先鋒と後続の兵が、慌てて伝令のために駆けていく。残れと命じられた兵が隊を離れ、少しの間、空気があわただしくなった。 その様子を横目に、自分を見上げている相手を睨みながら、流紅は駄々をこねるように言っていた。 「兄上、わたしを怒らせたからね。無事に帰ったら覚悟はいいですか」 「ああ」 笑む表情は変わらないくせに、彼の口から漏れる息は、細く短く早い。 それに対して、兄に対する苛立ちと、彼を置いていく自分を責めながら、流紅は再び馬に乗る。 「まったく、こんな真冬に戦をしようなんて、飛田の正気を疑う」 悪態をつきながら、馬首を戦場へと向けた。 |