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山頂、たどり着いた足元、山の裾野に浅い川の流れが見える。ぽつぽつと低い山々に囲まれた場所だった。雪原を、川の水を蹴散らして兵が入り乱れる戦場が、上から見るとよく見えた。飛田家の黒い揃えの鎧は、紙の上に垂らした墨のようだった。じわじわと広がりながら、神宮の軍がいる山を背に奮戦する本條家を追い詰めていくのが分かる。とっくに本條の側の陣幕は蹴倒されてしまっているようだ。 未だ戦が終わっていないのを確認して安堵したのも束の間、戦況は、はっきりと思わしくない。劣勢なのは知っていたし、だからこそ大急ぎで駆けつけてきたのだったが、眼下に広がる戦陣は、間に合わなかったのだと言っても大差ないようなものだった。 山の方へと追いやられていく現状は、戦っている本條家にも分かっているはずだ。じりじりと追い詰められ、しかも氷のように冷たい川の水に足を浸しながらする戦など、兵の士気が下がる一方だろう。 広がる光景を見ながら、流紅は気難しく眉根を寄せた。 「このまま降りると、本條家の後ろに出るな。後続についたところで意味もないが、回りこむ時間もないか」 陣を分けて、とりあえず先陣が援軍に付いてまず本條の隊を助けて時間を稼ぎ、もう一隊が山を回りこんで飛田の後ろに出ることもできるが。 ――今更、か。 つぶやく彼に、従ってきていた臣の一人が声をかける。 「兄君でしたら、このまま援軍に行かれることはありますまい」 顔を向ければ、当人は目をそらして下の戦場を見た。 卑下している言葉にもとれるが、そうではないだろう。彼は、確か兄贔屓の人間だったか。 高台から見ていると、明らかに、飛田家の優勢が分かる。今更援軍として参戦したとして、本條家が盛り返せる可能性など、ほとんどない。冷静に判断して、本條家がそれだけの力量を持っているとは思えなかった。 兄は、自分は戦場では役に立たずだと言っていた。確かに、刀をもって戦うための技術はともかく、体力のない彼は先頭に立って戦をすることには向いていないかもしれない。しかしながら、彼は陣営で指示を与えることのできる冷静な判断力を持っていた。彼なら、臣の言ったとおりに、もしかしたらここで引き返すことも考えるかもしれない。自分たちがここまで来た苦労など、負け戦に参戦して無駄に兵力を失うよりずっといい。 「ここまで駆けつけて来て、旗色を見て引き返すなど、神宮の家名を汚すぞ」 別の臣が、何も言わない流紅の変わりに声を荒げて言った。 流紅には、自分を軽く見る言葉も、庇う言葉も今は特に意味を持たない。むしろこんなところに来てまで、お家問題を引きずる臣下に呆れるところだ。それよりも、彼が気がかりなのは、残してきた兄のことだったが。 どうするかでもめている人間を他所に、眼下の状況と、周りに目をやっていた流紅は、誰よりも早く異変に気がついた。 「見つかってしまったようだな」 流紅の声に、将たちの声が止まった。すばやく、彼の目線を追って首を巡らして入る。 近く、神宮の軍がいるのとは別の小さな山から、細い一筋の煙が上がっていた。雪に乱される視界の中で、それはあまり効果的な合図とは思えなかったが、気取られたくないのならば有効だろう。間違いなく、狼煙だ。 飛田側か本條側かは判断できない。だがどちらが出した合図にせよ、合図がこうして神宮の目にも見える形でされた以上、どちらにも知られたと見た方がいいだろう。 「このままおめおめと帰れば、それこそ神宮は不義理者の集団だと、謗られるだろうな。他の同盟国への印象も良くない。どちらにせよ、本條家が崩れるのは好ましくないだろう。出来る限りの手助けをして、飛田家への防波堤になってもらわなければ困る」 決断を口にする流紅の声は、揺るぎない。紛れもなく、参戦の表明だった。戦場を見る顔は、軽く笑みを浮かべている。 「ついてきたくなければついてこなくていい。わたしは行くぞ」 先程までぐずぐずと討論していた将を揶揄するように言って、いたずらな顔で笑うと、流紅は馬の腹を蹴った。慌てたように、進軍の号令と法螺貝の音が響き渡る。一丸となって神宮の軍は山を駆け下りていた。 空気を切り裂くような合図の音を聞き、自分たちの陣の後方から駆け下りてくる一団を見て、本條の陣には瞬間、戦慄が走った。しかしながら、飛田とは違う揃いの鎧と、桜の紋、そして率いて来る将を認めて、歓声のような鬨の聲があがる。 若干十七歳ながら、神宮家の次男は戦場において、それだけの活気を与える活躍をしてきていた。 前線にいるのはあくまで本條の兵というのに変わりはなかったが、後押しがあるのとないのではまったく違う。 にわかに、本條の陣が活気付く。冷たい川の上に、山添に追いやられていた本條の軍が、じりじりと飛田の軍を押し戻し始めた。 その矢先だった。 「本條の首をとったぞ!」 流紅のいた位置からさほど遠くない本條家の本陣で、誰かが大声を上げるのが、喧騒の上に響き渡った。誰もが思わず手を止める。一瞬の間をおいて、降り続ける雪をも天に押し返すような声が沸きあがった。 先刻とは比べ物にならないほどの、閧(とき)の聲。 遠目に、大きな弓を象った旗印が倒れるのが見える。 やはり、間に合わなかった。 口中舌打ちしてから、流紅は声を張り上げた。 「伝令! 即刻引き上げる!」 まだ、何が起きたかははっきりしない。ただ、本條家の誰か、多分当主が討たれたのだろうが、きっとまだ跡継ぎの子息や血族がいる。彼らがいる限り、当主の首をとったところで、盛り返すことが出来ないわけではないだろうが。 悠長にしていられる余裕は、神宮家にもない。 本條家が崩れれば、神宮家は、人助けの戦などしている場合ではなくなる。飛田家に対して、防波堤の役割をしていた本條家が飛田の手に落ちれば、間にはどっちつかずの石川家が残るのみ。いつ、刃を向けてくるとも限らない。流紅たちが国を離れている間に、本国を急襲してくる可能性は、はじめからあったのだから。 活気付いた飛田家に矛先を向けられる前に、離脱するのが何より得策だった。 国に帰れば、ここまで駆けつけて参戦を渋った将に、何かと粗探しをされるだろうなと思ったが、それならそれで構わなかった。それで皆が素直に、軽率な弟より慎重な兄が跡目を継いだ方が良いと思ってくれればいい。 「誰ぞ兄上のところへ知らせに走れ」 退却の合図の貝の音に負けじと叫ぶ。 もし、あといくらか早くたどり着ければ、状況も変わったかもしれない。 本條家がこの戦に敗退したことで、神宮家の状況は、昨日までと比べ物にならないほど追い詰められたものになったのだった。 |