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神宮家の居城は、小高い山の上にある。山は春になれば綺麗な桜の色に染まり、桜の木に囲まれた城を城下町から臨む風景は、国の絶景のひとつに数えられるほどのものだった。その本拠地を桜花という。土地の気候は温暖で、人々も暖かい。 襖を開け放した城内を渡る風はやわらかく、その麗らかな陽気に包まれながら、現神宮家当主は、上座に座して庭を眺めていた。彼のいる謁見の間でからは城をとりまく桜は見えないが、桜花の城内にも、其処ここに桜が植えられている。彼の視線の先で風に揺れている桜の木は、陽だまりの回廊の上に花びらを舞わせている。 「それで、父上はどうしてわたしをわざわざ同席させているんです?」 脇息に頬杖をついて黙り込んでいる父に、紅巴は穏やかな声で言う。問われた方は束の間怪訝そうな顔をしてから、傍らの息子に問い返した。 「言っていなかったか」 その様子は、思わぬことを言われて驚いたようでもあり、春の陽気と桜に心を奪われてぼんやりしていただけのようでもある。 「聞いていませんよ」 「言ったつもりだったが、お前がそう言うならそうだろうな。わしよりお前の記憶の方が信用できる」 まったく無責任なことを言いながら、神宮家の当主はにんまりと笑う。 彼らは、先刻まで一人の若者に対面していた。これと言った理由も聞かされないまま、突然父に呼ばれて同席していた紅巴は、対面中も、若者が去った後もいつになったら種あかしをしてくれるのかと思っていたが、どうやら忘れていただけだったらしい。当の面会相手が帰ってしばらく、ぼんやりとしていたから何かあるのかと思っていたが、ただ本当にぼんやりしていただけみたいだな、と考えると、自分の父親ながら子供じみていてほほえましいと思ってしまう。 「あれは、武藤家配下の、富岡の地の一部をおさめている山村家の孫で、名を泰明(やすあき)という。父親を幼くして亡くし、祖父に育てられた。その祖父が、とうとう死期も間近で隠居したいというので、あの孫に領地を譲ったばかりだ。本来なら、領地を継いだからといって、桜花くんだりまで足を運んで、神宮のご当主に対面する必要もないし、それが出来る身分でもない。当の、武藤家なら話は別だがな」 所々、あまりほめられたものではない言葉が混ざっていたが、今更、神宮家当主の遠慮のない物言いを責める者はいない。さっぱりとした性格の彼の口から出る言葉は、少しばかり問題があっても、相手に嫌味に聞こえないのが不思議だった。 「尊芳(たかみち)の時には、大騒ぎで歓迎する、と約束しておられましたしね」 紅巴が、父に対する、というよりは、いたずらな子供に対するような表情で微笑みながら言った。 武藤家とは、神宮家にはなくてはならない重臣の家だ。身一つからのし上がった初代を助けたのが、武藤家の祖先になる。尊芳は、二十代半ばの嫡男だ。 「そうだ、なんなら観桜宴で派手にやってもいい。ともかくそんな小さな家なんだが、当人はまだ若い上、頼りの爺さんが頼りにならない状態だし、多少萎縮しているところがあるようだし、武藤としては元気付けてやらねばと思ったらしくて、会ってやってくれと言ってきてな。ちょうど桜花は今お祭り騒ぎで気分転換にもなる。武藤が言うには、うちの息子たちと同年代で跡目を継ぐことになるから、お互い励みになるやもしれぬから、とな」 臣下の末席にまで細やかな気を使う武藤家の配慮に感嘆しながら、紅巴はさすがに父に対して少しあきれてしまう。 「当人に会う前に、言ってくだされば良いものを」 励ましあおうにも、当人はすでにこの場にいない。 「だから、忘れていた」 言い訳もないあっけらかんとした声には、反省も悪気もなかった。それで相手の言葉を封じると、彼はにんまり笑いながら続けた。 「それでお前はいい加減に、跡目を継ごうという気にはならんのか?」 突然出てきた言葉ではあったが、この数年持ち上がっている問題でもあった。側室の子であり長男である紅巴と、正室の子であり次男である流紅と。どちらを跡目に据えるのか、家臣の間でもめている。あくまで、家臣の間でだったが。しかしこの行方を興味もって見ているのは、神宮の領内の人間だけではなかった。特に、先日の戦の後では。 「わたしよりも、流紅の方がふさわしいでしょう。わたしは体も強くないし、人臣を掌握する力量などありません」 「謙遜だな。流紅にしてみれば、自分は兄ほど冷静に物事を見れないし、頭も良くないというぞ」 「わたしは多少物事を頭に詰め込んでいるだけで、それが役に立つのなら補佐としてです。人の上に立つのに必要なのは、そんなものではない」 穏やかながらも決して譲らない紅巴の言葉に、父はやれやれと肩を持ち上げて、大仰にため息をついた。 「なぜそのように、ふたりとも当主の座を嫌がるのだ。父を助けるのだと思って、引き受けてくれればよいものを」 嘆くような口調もわざとらしい。けれども木の床を見つめ、再び大きく息を吐いてから、再度紅巴に眼差しを注ぐ彼は、一変してなだめるような声で言った。 「お互い、相手の権利を奪う、自由を奪う、居場所を奪う、責任を負わせると考えるな。お前たちは当主を継がずとも、神宮の人間であることには変わりないのだ。どこまで行こうと、同じ問題は追ってくる。どうせお前たちだって、どちらが当主を継ごうと、相手を独りにしてほったらかしておくつもりはないのだろうが」 同じではないか、と父は言う。 「父が命ある間に、跡を継いでくれ。その方が、お前たちにすんなりと跡を渡せるし、霞みたいな命であれ、お前たちを助けることも出来る。それに父は楽隠居の気分を味わいたい」 「楽隠居ですか」 突然またもとの調子に戻った父に、紅巴は小さくふき出した。 「そう、普段は子どもたちにあれこれさせて、気に入らないことだけ口出しする。いやな爺だろう。やってみたかったんだ」 四十に満たない歳のくせに、彼はひどく年寄りめいたことを言う。 数年前の戦の折にうけた傷がもとで足が悪く、体力も落ちて無理の利かない体になってしまったのが原因だろうが、当の本人には、それを思わせるような暗さがない。むしろ体を壊したことで、それを口実に楽隠居して悠々自適に暮らしてもいいのでは、ということに気がついてしまった様子だった。本人はとてもそれを楽しんでいる節がある。 「跡を任せて安心できる子どもがいるってのは、恵まれたことだよなあ」 しみじみと彼は言う。 |