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「父上が言ってたの、一体何の話かな」 回廊を降り、花弁を降らせる桜の下を歩きながら、難しい顔をして流紅がつぶやいた。気難しげな表情をして考え込む弟に、紅巴は小さく笑う。 「流紅の縁談じゃないのか?」 その話になると、流紅は不機嫌そうな顔になった。跡取り問題と同時に、家臣の間で近頃取り沙汰されている問題だった。 「わたしよりも、兄上の方が先でしょう」 「ぼくはもう、妻を娶るつもりはないよ」 花びらを舞わせる風の元を追うようにして、桜の木を見上げながら紅巴は穏やかな表情で言う。 十九歳になる紅巴には、流紅と同じ歳に娶った妻がいた。政略結婚で神宮に来た他国の姫君で、美人とは言えなかったが、しとやかで控えめで、物静かな紅巴と並ぶと誰の目にもかわいらしい夫婦に映った。 しかしその妻が神宮へ来てようやく半年経った頃、彼女の自国が他国に攻められ窮地に立たされてしまった。神宮に入った第一報は、篭城をしたというものであり、援軍を整えていざ出陣を、というときに、城が落ちた、という第二報が入った。城主やその家族の消息は知れず、落ち延びたか討たれたかは定かでなかった。そんな状態のところへ援軍を送るほど、さすがの神宮家もお人よしではいられなかった。 紅巴の花嫁はまだ十五歳の少女だった。普段おとなしかった彼女も、この時は必死になって泣きながら、紅巴に「国に帰らせてくれ」と哀願した。「兵を出してくれ」とは決して言わなかった。状況が分からないほど愚かな女ではなかったから、神宮家にいれば自分は安全で、たとえ家族が城主の地位を追い落とされても、彼女自身がいれば、神宮の名をもってではあっても家を再興することもできると、分かっていたはずだ。それなのに、すでに敵国になったも同然の国に帰りたいと泣いた。 紅巴も彼女を哀れみはしたが、決して父に、兵を出そうとは言わなかった。そして、国に帰りたがっている彼女を止める事も出来なかった。目立たないよう護衛を幾人かつけて、国に帰してやるのが精一杯だった。本来なら、後々の大義名分の為に彼女を神宮家の内に抑えておかなければならないのは、分かっていたことだったが。 結局彼女は、そのまま国で討たれて死んだ。 彼女を手放したことで、跡継ぎ問題に関する紅巴の旗色は一時期悪くなったものだった。紅巴自身、自分が手配したことではない、目を離した隙にいなくなっていたのだ、という体裁をとってはいたが。 「それは、兄上の気持ちも分からないではないけど」 まるで、切り札のようにそのことを持ち出してきた兄に、流紅は不機嫌そうな呟きを落とす。 哀れな姫君の身に起こった事を思うだけでも、ここ近年の神宮家を取り巻く状況は、とても悪い。先日、冬の日の戦から、また更に転落の一途をたどりつつあるのは事実だった。それもあって、神宮家の家中はここのところ落ち着かない。 「それなら、桃巳の縁談かもしれないな」 唇に穏やかな笑みを浮かべて、紅巴が言う。流紅はますます不機嫌な顔になって紅巴を恨めしそうに見た。 「桃巳を他所にいかせるくらいなら、俺が嫁をもらう。まだ桃巳は十四だよ。……なんだか兄上、意地が悪い」 「桜のせいかな。神宮の血筋は、春になると惚けてしまうそうだから」 むくれている流紅に、紅巴はくすくす笑いながら言う。すぐにむくれたり、それが素直に感情としてあらわれたり、そしてそのことで人に悪印象を抱かせないところは、流紅のほうが父親に似ている。多分、こちらの方も神宮の血筋なのだろうが。 「流紅の方こそ、忘れているものだと思っていたよ。帰ってきてからもずっと何も言ってなかったし」 「そんなの、忘れるわけないよ」 ふいに得意げに、流紅が明るい声を出した。 ――冬の日、戦の時に言った「覚悟はいいですか」の言葉。雪がとけ、日差しが暖かくなり始め、梅の花が咲く頃になっても何も言わなかったから、すっかり忘れていたと思っていたのだが。 桜が咲き始めると、一年のうちで一番桜花城の城下町が騒がしくなる。流紅が、その市を見に行こう、と言い出したのはつい先日のことだ。 「体を壊してた人にすぐ何か文句を言うほど、わたしだって人でなしじゃないからね」 「冗談に流さないで、春になるのを待ってるのも人が悪いと思うけどね」 「兄上、絶対父上の口の悪さがうつってる」 二人で声を上げて笑う。その向かう方、ゆるやかな坂になっている道の先に、桜花の城の門があった。城の門とは、その城を持つ家の力を示す意味と、そこに来る人間を威圧する意味もあって、豪華で立派なものだ。桜花の城の場合は比較的無骨な印象のない楼門になっているが、戦の時には見張りが立ち、弓の射手が立つ場所になるから、やはり自然と大きなものになっていた。 その門の下、二人の門番と、一人の少年が何やら話し込んでいた。談笑をしている様子で、さらに彼らがいるのは門の内だから、何か問題があった風ではないが。 「あれは、山村家の」 落ちた紅巴のつぶやきを耳に拾って、流紅が一旦紅巴を見、それから門のほうへ目を眇めた。 「もしかして、さっきまで兄上たちが会ってたのは、その山村家の人?」 「父上が言うには、富岡の領地をおさめている山村家の嫡男で、最近跡目を継いだとかで。今十八で、わたしたちと歳が近いから、武藤の薦めで会うことにしたのだとか」 「ふうん。そっか。ちょうどいい」 いたずらな顔でにんまり笑うと、流紅の顔は、やはり父に良く似ていると紅巴は思う。一体何を思いついたのかとは、考えるまでもなく予想がついた。突然小走りに門の方へ向かった流紅を止めもせずに見送る紅巴は、彼自身二人に比べれば比較的常識人である自覚はあったが、やはり神宮の人間だった。誰もに知られる、気さくでいたずら好きな神宮家の気性は、初代から受け継いだものなのだろう。 |