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駆けてくる流紅に気がついて、何か起きたのかとのんびり彼を見た山村家の嫡男は、その後ろから歩いてくる紅巴を見つけてあからさまに動揺したようだった。目を大きく見開き、反動のように後ろへ飛び退る。大慌てで膝をついて頭を下げたところに、流紅がたどり着いた。 「おう、ご苦労さん」 流紅が気さくに声をかけると、泰明の動揺を苦笑して見ていた門番は、慣れた様子で立ったまま礼を返した。 「若君たち、どこかへお出かけですか」 「城下での市は今日までだから、行っておこうと思ってな。誰かが探してたら、夕方までには戻ると言っておいてくれ」 「承知いたしました」 頭を下げる門番を満足そうに見て、流紅は今度は門番の横で小さくなっている若武者の方へ目を向けた。 「それで、そこのお前は、わたしたちと一緒に来い」 言葉は高圧的だが、楽しげに笑う表情がそれを裏切っている。門番たちが顔を見合わせて苦笑しながらその様子を見ているのは、彼もまた流紅のそんなところに慣れているからだ。言われた当の本人は当然そんなわけにもいかず、あまりにも気さくな流紅と門番のやり取りに、伏せた顔の下で動転しているところだろう。今声をかけられているのが自分なのだと気がつかず、一体何が起きているのかすらわかっていない。 山村家の新しい当主は、神宮の当主が言っていた通り、本来なら桜花まで来て簡単に当主に目通りできる身分ではない。先程まで当主に面会していたことですら、これ以上ない緊張を強いられただろうに、唐突にしかも門の近くなどで、その嫡男に声をかけられて、動転せずにいられるわけがなかった。 「泰明殿」 追いついた紅巴が笑いながら助け舟を出して、彼はようやく流紅の言う「おまえ」が自分を指すのだと気がついたようだった。 「は、はいっ」 地面に膝をついたまま、彼はますます頭を深く下げた。 「流紅が構ってほしいから、一緒に城下まで行ってほしいそうだよ。どうせ下に降りるんだろう? 少しつきあってやってくれないか」 「は、はあ。あの」 「なんだ」 動揺しながら何か言いたげな泰明の先を促すように流紅が声をかける。どう見ても、相手が慌てているのを楽しんでいるようにしか見えない。 「あの、お二人だけで行かれるのですか?」 頭を下げたまま、地面に向かって大きな声で泰明が言う。それに対して、流紅が大きな声で笑った。 「だから、お前を一緒に連れて行くっていってるじゃないか。ちなみにいつもは二人でいくぞ。よそはどうか知らないがうちでは珍しいことじゃないから。どうでもいいが、その格好疲れるだろう。さっさと立て」 ぽんぽんと言われて、泰明は、流紅が言葉を切るたびに「はあ」とつぶやいていた。本当に、わけが分かっていないのだろう。最後に、立て、と言われて、流紅の言葉が終わったのに気がつき、威勢良く「はい」と返事をしたものの、立つ気配がない。 さすがに気の毒になって、紅巴は身をかがめて泰明に声をかける。 「土の上だというのに、そんな姿勢でいては折角の直垂が汚れてしまう。別にぼくたちに気をつかう必要はないから、立ちなさい」 思いがけず近い位置から声をかけられ、泰明はつられた様にようやく顔を上げた。それから、わざわざ屈みこんでいる紅巴に気がつき、大慌てで立ち上がる。 「この後、何か予定が?」 「いえ、特には何も」 「桜花には昨日着いたと言ってたね。もう市は見てまわったの?」 「いえ、ご当主にお会いする用意がありましたので。武藤様のお屋敷にご厄介になっておりますし、そうそう出歩いてご迷惑をおかけするわけには」 「なんだ、武藤は外に出てみろって言わなかったのか?」 穏やかに問いかけていた紅巴に対する応えを聞いて、流紅が口を挟む。意外そうな声音に、直立不動の姿勢でいた山村家の若者は、慌てて彼のほうを向いた。 「いえ。気晴らしに外に出てみてはと言われたのですが」 「そうか、それじゃ一緒に見て回ろう」 流紅のようにきっぱりと強くは言わないが、紅巴の言葉は穏やかで強引ではなく、それだからこそ押しが強い。 身近な人間でさえ振り切れないものを、萎縮しきった泰明が断れるものではなかった。向けられる微笑に向かって、気がつけば頷いている。苦笑気味の門番たちの視線に見送られながら、満足気に大股で歩き出した流紅と、それに並んで行く紅巴の後ろを慌てて追いかける。 国の絶景のひとつに数えられる桜の山の中、整えられた道を歩いていく。この道を登る時に見る桜花の城は、桜の霞の向こうに栄えて、とても美しいものだった。桜花城はどこか神社めいた造りをしている上、朱塗りの柱と黒い瓦と白い壁に彩られ、先ほど後にした楼門も、赤い色を主張に造られている。鮮やかではあるが決して派手でないのは、もう一つの絶景に知られる飛田家の白蛇城が女性的なのに比べて、どこか無骨に見えるからかもしれない。桜花の城は、桜と城と、抜けるような空の対比が、美しい彩りを持っていた。 「わたしは、富岡には行ったことがないな。どういうところなんだ?」 前を向いたまま流紅が言う。未だ現状が飲み込めずにいた泰明は、慌てて応えた。 「田畑ばかりで、何もないところです。老人と子供と寺しかありません」 それは深くとれば、戦で人手を取られて何もない、と言っているようなものだったが。 「そうか」 当然、泰明はそんな意味を込めて言ったわけではなく、流紅は気がつかなかったのかもしれなかった。慌てるあまりそんなことしか言えなかった泰明に、楽しげに続ける。 「ともかく、そんな言葉遣いはするな。普段ならまだいいが、今日は桜花の住民じゃない人間も多いんだから、お忍びがお忍びでなくなる」 「無理です」 後ろを歩きながら、訴えるように前を行く人物に言い返すが。 「無理なわけがあるか」 「それなら、なんとお呼びすればいいのです」 「なんとでも好きに呼べばいい。おい、でも、お前でも構わないぞ」 「それこそ無理です」 「そんなに、堅く考えなくていいのに」 くすくすと笑いながら言ったのは紅巴だった。 「泰明殿は、どうやら思ったより豪胆なようだから、大丈夫だろう。動転してるくせに、それだけ流紅に言い返せたら、立派なものだ。下に降りたら、とりあえずぼくらは泰明殿の知人ということにしておくから」 困りきっている自分を見て、少しは流紅をとりなしてくれると思っていたのだろう。それに反して、流紅に便乗するような紅巴の言葉に、泰明は脱力の思いを隠せなかった。 「紅巴様まで……」 「流紅に借りがあるんだ。今日は流紅につきあう約束になっているから、わたしを当てにするのは無理だよ」 そうこうする間に、配下の武将たちが山中に構える屋敷郡を抜け、桜花の山の裾から広がるようにしてある城下町にたどり着く。 |