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静まり返って彼らを見上げる人々の耳に、細い旋律が届く。それを奏でる当人と同じ様に笛の音は景色を邪魔することなどなく、むしろそこに溶け込むようだった。淡い花びらと共に風に遊び、風は彼らの髪をもてあそび、艶やかな衣服の裾や袖を揺らした。 流紅が明朗な声で謡いながら腕を持ち上げる。振られる白刃の、切っ先の揺ぎ無さ、瞳の強さ。艶やかで、力強い仕草。 神宮家の当主が自慢と言った息子たちは、神宮の領民にとっても、自慢の跡継ぎだった。 「おう、ちゃんと来たな」 楽しげに声をかけられて、尊芳にしきりに酒を勧められて萎縮していた泰明は慌てて顔を上げた。 拍手喝采で終わった流紅の剣舞の後、末子の桃巳が愛らしく歌を披露し、神宮家の催しは幕を閉じた。後は、飲んで騒いでと、人々は浮かれて賑やかに談笑を始めていた。そんな浮かれ騒ぐ人々の中に頓着なく足を運び、泰明と茜子に声をかけた人物は、艶やかな衣装を纏ったままにこにこ笑いながら立っている。尊芳が慌てて席を勧めて、流紅は素直に彼らの隣に座った。 笑う流紅の表情は昨日と変わりはないが、着ているものが違うだけで、まとう空気まで変わったようだった。 「だましたわね」 多分、見る側の目が少し変わったからだろう、と茜子は思う。 「だましてなんかない。明日になったら名を教えると言っただろう。神宮流紅という」 態度がまったく変わらない茜子に対し、晴れやかな笑みで、流紅が言った。 「兄さんと共謀してたのね」 「お前の兄は、わたしたちと親睦を深めたかっただけだ。むしろ、逆かな」 むくれていた茜子は、悪びれない流紅に対し、怒っているのが馬鹿馬鹿しくなって大きく息を吐いた。あれだけのものを見せられて、何を文句言う気にもなれないのも、本音だった。 「仕方ないわね、態度を改めないとだめかしら」 どれだけ奔放でも、彼女も武家の人間で、そして神宮家に仕える末端の家の者だ。もともと身分には頓着しない性格だったが、それは上の立場のものに敬意を払わないというわけではない。だけども昨日散々同じ目線で話をして、今もこんなに気さくな相手に、今更そんなことができるかどうか、半分自問の意味を込めて茜子がつぶやく。 「そのままでいろ」 彼女らしい困惑に、流紅は破顔した。 喧騒は夜まで続いている。人々は入れ替わり立ち代わり宴のあった場所に来て、篝火に照らされながら騒いでいた。時々、大きな声や歌が、山上にある神宮家の天守にまで聞こえるほどで、城にいる人間の微笑を誘う。祭りの後は城下の人間にも、城内の人間にも現実が待ち構えていたが、今日ばかりは誰も諌める言葉を口にしない。 「わしも派手に剣舞がしたかったなあ」 窓辺によりかかり、そこから見える桜の木々の隙間から臨む城下をうかがいながら、神宮の当主は呑気に言った。 「流紅ばかり目だって、ずるいよなあ」 「父上は、せっかく桔梗どのが衣装を用意すると言われていたのに、肩がこるからといって面倒くさがって、断ったんじゃないか」 流紅と桃巳は同母だが、その母親はすでにこの世にない。紅巴の母は、彼と共に離れに住まっているが、桔梗殿とはその母の名前だった。 「作ってもらうのは嬉しいが、服を合わせたりするのが面倒なんだよ」 自分勝手といえば自分勝手な言い分に、流紅がまだ何か反論しようとして、紅巴は苦笑しながらそれをさえぎった。 「それで父上、話とは」 ――前日から、宴の後に話があると言われていた。 宣言通りに自室に兄弟を呼び寄せて置きながら、話をはじめる気配のない父は、そう急がなくても、と表情で不満そうに紅巴を見る。つまらなそうに大きく息を吐くと、それから事も無げに、前置きもなく言いだした。 「石川家から、使者が来た。この際は、体裁としては客人と言うべきか」 話し出すとなれば、唐突だ。要点だけを相手に与えるその言葉で、兄弟は父がこれから言うであろう言葉が、もう分かってしまった。 冬の戦で、その領地を通った石川家。神宮の領地に隣接し、戦のときに当主を打たれた本條家との間に位置する。神宮の同盟の呼びかけにもずっと応えず、先日の戦にも我関せずを決め込んでいた国だった。 悟った瞳で父親を見る彼らに、神宮家の当主は告げた。 「お前たちどちらかの、石川家への遊学を認めるそうだ。要するに、二人のどちらかに、石川家へ人質に行ってもらいたい」 神宮家をとりまく状況は、あまり良くない。同盟を結ぶ国もあったが、それでも現状として回りは敵ばかりと言っていい。 冬の日の戦で、本條家は窮地に追いやられたが、まだ飛田がその土地を掌握したわけではない。多少国の境界は曖昧になったものの、本拠の城で子息が踏ん張っている以上、また近いうちに戦が起きるのは目に見えている。その戦にまた神宮家が支援するかどうかは状況次第だが、もしまた援軍を、となった時に、また石川の領土の門前で立ち往生するわけには行かないのだ。そしてそれよりも、以前より飛田家が近くなった今では、なんとしても石川家が完全に敵に回るのは避けたかった。 普通他国の主君の子息を人質として迎えるのは、戦わずして相手を従わせるために、もしくは服従の意の表れとしてわざわざ差し出させるものだ。あなたの国に決して刃を向けません、という意志の表明だ。たとえ戦を起こさないにしろ、もし人質を送った国が意に添わないことをしたならば、真っ先にその人質が殺される。それは立場の強い国が、より弱い国へ、もしくは戦に負けた国へ要求するものだった。 しかし今回の場合は、多少付加的な意味がある。 神宮の側から、あえて人質と言う言葉は使わなかったが、それを申し入れた。相手は人質を受け入れ、その命を握ることで、領内での行軍を黙認する。神宮家に領内で不振な動きをさせないための保険だ。軍が国を離れている間神宮家も石川家の行動が気になるが、同時に石川家のほうも神宮の軍が、援軍に出かける振りをして自国の攻撃に転じてくることを恐れている。それを抑えることが出来る。 現実としては、神宮の血筋を領内に受け入れることは、簡単なことではないのだが。人々は、飛田家の神宮への憎悪を、周知の事実として知っている。むしろ誇大して皆に知れ渡っている。飛田は、神宮の血筋の者を執拗に狙うと思われている――事実、そうだ。例えばもし、もし桃巳が他国へ嫁いで子を産んだら。その子を殺すためだけに、攻められるかもしれないとすら考える者も多くはない。それほどまでに、戦国を呼んだ乱は人々の中に恐れとして、むしろ伝説のようなものとして刻まれている。 それでなくても、飛田と諍いを起こし、もし滅ぼされるようなことがあったとしたら。誰もが、当主の子が逃げ伸びて国を再興してくれることを願うだろう。手段を選ばない者たちなのだ、彼らは。同族殺しが伝統とすら言われるほどに。捕らえられれば、たとえ女子供でさえ、殺される。必ず。 だがこの場合に関しては、多少話も変わってくる。はじめから積極的に神宮家に味方するつもりのない石川家は、もし神宮家が飛田に負けたなら、まっさきにこの人質を差し出せば、飛田に媚びることが出来る。 もう同盟などと高望みはせず、神宮の子息を勉学の為にそちらの領地へ預けたい、とは、こちらから申し出ていたことだった。今回のことは相手の国にとって、二重の意味の保険だ。――断られることはないだろうと、はじめから踏んでいた。 「ちなみに、こちらから何も言わなかったのもあるが、桃巳との政略結婚はやはりありえないようだな。あくまで、お前たちどちらかが所望だ。どちらが良いとは言っておらなかったから、どちらでも良いということになるが」 兄弟と同じ、明るい色の瞳を子どもたちに注いで、神宮の当主は言う。 「お前たちの意志を聞きたい。どちらが行く」 |