第一章






説得




 空気が張り詰めたのは、一瞬だった。沈黙はすぐに破られる。
「……父上」
「わたしが行く」
 言いさした紅巴の言葉をふさいで、流紅が強い声を出した。紅巴が諌めるような眼差しを向けるが、気にしない。
「残った方が、跡目だということでしょう。ならば、兄上が行っては意味がない」
 だが、紅巴は小さく息を吐いて言った。
「流紅には向かない」
「どうして!」
「人質になるということは、何も出来ないということだ。もしあの土地で戦が起きても、我々が窮地に陥っても、何の手出しも出来ない。黙って見ていることが流紅にできるか?」
 思わず流紅が言葉に詰まったところで、紅巴は穏やかに続ける。
「臆病者とそしられるのは、ぼくの方でいいんだよ、流紅。お前は誰からも、勇気ある若武者だと称えられているのだから、その事実をあえて損ねる必要はない」
「でも、兄上は体が強くはない。人質にいって慣れぬ環境で体を壊したら、何か問題が起きたとして、脱出の機会があっても生かせないかもしれないじゃないか」
「そんな小さなことを言っていられる状況じゃない」
「小さな問題なんかじゃないでしょう!」
 諌めるような言葉に、流紅が眉を吊り上げて兄を睨んだ。そんなこと、などと言われては。彼にとっては、そんなことでは済まない問題だというのに、本人が軽々しく言う言葉に腹がたった。いつもそうやってこの人は、自分を軽んじる。
 流紅の怒りを同じように感じながらも、父はそんな二人をただ苦笑して見た。険悪になった空気に、変わらない声音で言葉を落とす。
「別に、残った方が跡目だということにはしない。臣たちはそうとるかもしれないが、わしはそうしない。質になったからといって、絶対に帰って来れないわけではない。状況次第でどうにでもなるし、必ず救いの手は出す。わしが、子どもを見捨てるわけがないだろう。そんなことはあちらさんも承知のはずだ。何せうちは神宮家だからな」
 情に厚い、成り上がり者の神宮家だから。
 飄々とした調子で言う彼に、紅巴も苦笑しながら言った。
「本当はもう決めているのでしょう、父上」
 この人は、他人の意見を聞くなどということは、あまりしない人間だ。横暴なわけではないし、勿論自分よりも正しい意見には耳を貸すし、参考としてわざわざ尋ねることもあるが、自分なりの判断に基づいて決定したことはあまり変えない。――そうして彼が決めた物事に、あまり間違いがないのも事実だった。
 ばれたか、と笑ってから、神宮の当主は告げる。
「家臣からは、どちらかというと紅巴を推す声が強かった。わしもどちらかと言えば、紅巴が行った方が良いだろうと思っている」
「父上!」
 流紅が我慢できずに声を荒げたが、相手は片手をあげてそれを制する。
「紅巴なら、他国へ行って学んでくることも多かろう。見てほしい情報も見逃すまい。流紅は大雑把だから、それにはあまり期待できないしな。それにお前たちも分かっていると思うが、石川家にはあまり信が置けないから、やばそうだと思えば、とっとと逃げてくればいい。状況判断は紅巴のほうが秀でているし、適材適所というやつだ」
 あっさりと言われて、流紅の顔から険が消えた。説得されかかってしまった自分に困惑し、さらに自分をからかうような父の言葉に怒っていいのか、どういう態度をとればいいのか分からないという表情だ。
「でも……」
 理詰めで言われてもすぐには納得できない。見捨てないと言われても、父がどれだけそれを望んでいても、実際にできるかと言うと難しい問題だからだ。そして兄の力を信じないわけではないが、もし何かがおきたとき、遠くにあって見守るだけというのはとてもつらい。自分自身がその渦中にあるならなんとかする自信もあるし、難しい状況に兄を放り込んでおくよりは、実際に自分で立ち向かう方が気が楽だった。
 そんな流紅の気持ちは、父も同じだったのかもしれなかった。
「ただ紅巴にも一言言っておくが、絶対にあきらめるな。お前はすぐ自分のことを軽く見る。本当はそれを考えて、流紅に行かせようかとも思ったくらいだ。もう少し余裕があればそうしたんだが、やはり適材適所というには流紅では不安がある」
 はい、と紅巴が静かに頷くのを横目で見ながら、流紅はやはり文句を言わずにいられなかった。
「それならそれで、最初からわたしたちの意見なんて聞かなくていいでしょう」
「どうせお前が文句を言うと分かっていたからな。先に言わせておいたほうが納得するだろうと思っただけだ」
 言いながらからからと声を上げて笑う。
「お前にはお前の力の使い所がある」
 それがどこだとは具体的に言わなかったが、神宮の当主は慰めで人をほめる人ではないから、それは事実なのだろう。
 いつもと変わらない父に対しても、こんな状況でもいつもと変わらず穏やかな紅巴にも、なんだか本当に腹がたってきて、流紅はぶすっとしてつぶやいた。
「本当に父上は意地が悪い」
 彼の意図通り、反論の言葉が言えなくなってしまった。木の床を睨みつけて、気も荒くため息をつくくらいしか出来ない。
 それでも、完全に納得したわけでもなかったのだが。







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